サムエルはエリの息子たちの神を恐れぬ悪行に対する主の裁きを、その父親であるエリに語らなければならないという重責を全うしました。それは主の声に聞き従う者として、私たちが見習うべき信仰者の姿です。でも当時はそれが本当に主からの声なのか、そうではないのかは信仰によってでしか見分ける事ができませんでした。そう考えると今が本当に恵みの時代であることがわかります。なぜなら現代の私たちには、印刷された聖書が、主の御言葉が、ひとりひとりに与えられているからです。私たちの信仰の基準は聖書です。『十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。』(コリント人への手紙Ⅰ-1章18節)。それはイエス様を信じない者たちにとっては、愚かな言葉に聞こえるかもしれません。しかし主を信じる者たちにとっては、それは救いを受ける神の力なのです。あなたに直接、主が語られたと思えた時、天使を通して語られたと思えた時、聖霊の示しを通して語られたと思えた時、ああ今、私は神様の御声を聞いたかも、と思った時には、どうか迷わずにすぐに聖書にその答えを求めてください。主は必ず主の御声に聞き従う者に、真実を、真理を、祝福を、そして恵みと平安を与えてくださるお方なのですから。
本文内容と下記広告は関係ありません。
本文内容と下記広告は関係ありません。