一瞬の不思議な体験よりも、継続的なみことばの学びのほうが大切です。みことばを聞いても人生が変わらない人は、たとえ死者がよみがえったとしてもイエス様のみことばを信じません。エマオに向かう二人の弟子にイエス様はご自身の復活を信じさせるために、びっくり仰天するような奇跡は行なわなかったのです。その代わりにイエス様がしてくださったこと、それは、二人と共に歩き旧約聖書から丁寧にゆっくりと時間をかけてご自身の十字架と復活の預言を解き明かしてくださったのです。それを聞いた二人の弟子の心は熱くなりました。そうです彼らは最初の信仰を取り戻ししかも更に深い聖書が示す救い主メシアについての奥義へと進むことができたのです。それはイエス様が食卓についてパンを取って祝福された瞬間に起こりました。二人はそこでようやく、それを解からせてくださった方がイエス様だと気がついたのです。そんな彼ら二人はエルサレムから離れようとしていた足を180度向きを変えて、イエス様の復活を伝えるためにエルサレムへと戻ってゆきます。それはイエス様の十字架の中に、失望と悲しみしか見いだせなかった二人が、イエス様のみことばによって、信仰の情熱を回復させ更にイエス様のその十字架の先にある、栄光の復活を信じた瞬間でした。私たちは知らなくてはなりません、そうです、十字架と復活そのことこそが、みことばをかかげる者が体験する最も大きな奇跡だと、いうことを。
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