自分をよい者、優れた者だと思っているだけの人間は、決して他者への憐みを心に持つことはできないのかもしれません。そしてそれは同時に、神様からの憐みを感じる事もできない者でもあるのです。あなたの弱さは、他の人からの助けが必要なことを教え、他の人の弱さは、その人があなたの助けを必要としていることを教えてくれているのです。自分では役に立たない、価値のない人間だと思い込んでいても実は「そうではないよ、役に立たない人間などいない」と、神様は忍耐と憐れみを持って、あなたが実を結ぶことを待っておられるのです。『イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」』(ルカの福音書13章6~9節)
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