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アメリカは終わったのか、始まるのか

2021-03-05 23:16:24 | 日記
total news world 2021 3 4

私は何を書けばいいですか

トッド ヤング―共和党ーとティム テイル―民主党ーが率いる超党派の米国上院グループは、バイデンから戦争権限わはく奪する法案を道に優した。
バイデンが議会の承認なしにシリアを攻撃したことに対しての自営的制裁だと考えられる。
これで、バイデンによる思い付きの戦争許可は出せなくなることで、中東の火種が消されるかもしれない。
いよいよオバマdsに王手がかかったか?
見ものである。
しかし、核ボタンは誰の手にあるのか?
バイデンがもっていないとしたら、軍が保持しているのか?
だとすれば、アメリカは今、軍事政権の中にあるのか?
トランプの最終回答が出るか出ないのかが、早く見たい。
これは困った人類削減計画

犯罪者親子

私は逮捕ですか
私はどこに行くのですか
私は道に迷いました

「gab」創設者兼CEO「ビッグテックの次なるターゲットは人類の身体と精神への支配」

2021-03-05 22:34:29 | 日記
「gab」創設者兼CEO「ビッグテックの次なるターゲットは人類の身体と精神への支配」
確かにitは危険だ。
子供にこんなものを持たせるのは、心身共に危ない。
思想統制、反逆なき支配、ビッグテックは思想統制の最高手段だ。

youtubeが先週日曜日に開かれた全米保守政治連盟のトランプの映像を完全に削除したらしい、
全米大統領選挙を不正選挙だと発言したことが停止の理由だというが、公序良俗に違反しているわけではあるまいし、これは言論弾圧だ。
トランプの人気は非常に高くて、いくつかのプラットホームでは300万回の記録をたたき出している。

cnnは580万人の視聴者がフォックスnewsチャンネルで視聴し、さらに150万人がニュースマックスで7要したと報告している。

天才となんとかは紙一重

車を使い方を誤れば凶器

gafaも例には漏れないということだろうか?

テキサス州が規制措置を解除「住民には自らの運命を決める自由がある」

2021-03-05 22:03:18 | 日記
テキサス州が規制措置を解除「住民には自らの運命を決める自由がある」
投稿動画を間違えたが、小池百合子の自己顕示欲にこれ維持用付き合わないことが、最善のコロナ対策だ。

動物(どうぶつ)ニュースまとめ(12月19日)

2021-03-05 21:42:31 | 日記
動物(どうぶつ)ニュースまとめ(12月19日)

住民は自分自身の身の安全を守る方法を知っている。
レストランのオーナーは自らの規則を決めてこれからもやるつもりだ。
アボット州知事
この行政命令は、テキサス州のすべての事業者とすべての家族に自らの運命を自らがきめる自由を保障するものだ。

緊急事態で、キレる子供が増えているという。
それでもコロナ抑制のために延長をするという。
コロナ感染者の追跡調査も放棄し、ただ自分の都合だけの目標数値を決めて仕事をした振りをする小池百合子は、子供たちの健康まで破壊しているがお構いなしで清掃を続ける。

お願いしますとはよく言えたもので、小池百合子は、東京が自分の所有物だと思っているらしい。

手洗い、うがい、車間距離を取ればいいではないか。

食堂、レストランが汚いとでも言いたいのか。

きちがいである。

きちがいにいいようにされているのが都民である。

全く馬鹿な女である。

1000人と2000人の違いは何なのか?

それよりももっとと科学的に対処法を考察し、誠実に感染対策を都政として取り組むべきなのだが、ただ感染拡大のリスクばかり言う進歩のないペテン師、

いうことは0dysy直轄

変異株の不安

この馬鹿が都知事を続けける限り、パンデミックは終わらない。

私たちの望むものは 岡林信康 歌詞付CD版

2021-03-05 20:40:26 | 日記
私たちの望むものは 岡林信康 歌詞付CD版
1970年代、フォークの神様として一世を風靡する

岡林信康の歌を初めて聞いたのは、沖縄ヤンバルの山深きオオシッタイという作られた村のプレハブ小屋だった。
作られたというのは、別段オオム真理教みたいなものではなくて、思いを共有する人が集まって作られたという意味だ。
源河川の細い山道を上り詰めたところにたつプレハブ小屋はまだあるのだろうか。すでに30年前の懐かしい記憶、
58号線を北上、源河入り口の看板を入って川沿いを走った。
車一台がやっと通る細い道をひやひやしながら進んでいくと
オオシッタイがある。

そこには、自給自足、沖縄の自立を求めて、人が入れ代わり立ち代わり入ってはきえていった。
80年代、有機農業運動と共同体づくりがブームになっていた。
山深いオオシッタイの記憶

大学を中退した。
行く当てもなかった。
誰も知らない人ばかりの地で自殺しようと思ってたどり着いたのが沖縄だった。
今でもそうだが、集団が苦手である。
長らくいじめられた記憶しかない僕は、生きることに絶望していた。
そこで知り合ったのがオオシッタイーーーーーーーーーーー

今から考えれば、自立とは何ぞやとかの議論はしていたものの、とどのつまりが大酒食らってけんかの連続だった。

岡林信康は、そこで暮らす人が酒を飲みながら聞いていた。
ぼくも知らない間に歌うようになった。

私たちの望むものは、と膝まづく僕をヤンバルクイナが不思議そうに見ていたような気がした。

沖縄は平和であるべきだ。

琉球として誇り高くあるべきだ、

アニミズム―自然崇拝と武器を持たぬ島として、沖縄はあるべきだ。

人間の住んでいる島として、平和の島であるべきだと、大阪のドヤにいてもそう思っている。

懐かしい記憶、

岡林信康を久しぶりに聞いて今でもそう思っている。

何が豊かで、何が貧しいのかがわからなくなった時代の中で、コンビニで鶏のから揚げを食いながら、貧しい生活をしていると実感する。
出来合いの弁当を食らうよりも弁当のほうがいい。
便利さ、コンビニはいらない。
不便でもいい。
否、不便だからこそ作る喜びがあって、喜びがあるから人生は楽しいのではないか。
帰らない時間に思いを馳せていると、たまにヤンバルのうだるような暑さの中を汗をかいて走り回りたくなる。