夏の暑い日、僕は福木通を歩いた。
山とは違ってセミもにぎやかではなく、福木の木陰にはいっては、一息つきながら自然のダイナミズムの中を生きていた。
沖縄には、素朴で純朴な自然が息をしていて、その中で人間の息は吸い込まれていく。
だから子供たちは生き生きとしていて、元気いっぱいだった。
もう三十年前の話になるが、僕はここにいて、大和で疲れた精神を回復させた。
太陽の光は体に精気を注いでくれた。
潮騒は、乱れた心を癒してくれた。
闘牛は村の娯楽だった。
無心に戦う牛と闘牛士、声援する人が混ざり合って、太陽の下で、地域が熱を上げて一つになった。イチャリバ、チョウデイ、何も知らない僕に、地元の人がオリオンビールをくれた。都会の中で孤独にさいなまれ続けた僕を、今帰仁は暖かく迎え入れてくれた。錯覚かもしれないが、その後で僕は地元の鉄筋屋と知り合い、アルバイトをすることになった。
赤柄の家で、僕は住んだ。
夜中ナキヤモリが、クックッと泣いた。あの音は今も忘れない。
今帰仁城址記念館の鉄筋は、僕たちが組んだ。
僕は、この作品の一部でもある。
熱い暑い日、仕事仲間は金のない僕のために、弁当を分けてくれた。
今帰仁はスイカの名所だ。
端境期を見込んで冬場に出荷する。ビニールハウスが林立する中を、地元のハルサーは、走り回っていた。
エイサーの太鼓の音には感極まって泣いた。
今ではもう帰れない遠い日の記憶
素朴と純朴の町には、、確かに気の精霊、キジムナーが風に吹かれながら生きていた。
幻の村、今帰仁
命の海、崎山の海に帰ることはもうない。
日本人が忘れてしまったユイマールの暖かさを心に感じた今帰仁村、来世ではここの人になりたい。
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