http://www.vietnam-beauty.com/top-destinations/11-destination-in-the-north/244-hoa-lu-ancient-capital.html
http://vissaigroup.vn/en/ninh-binh-en/historical-hoa-lu-ancient-capital/
ベトナムは、939年に千年に及ぶ中国の支配から独立を勝ち取ります。しかしわずか5年後、12使君と呼ばれる地方豪族がによる群雄割拠時代に入ります。その後、ディン・ボ・リン(Đinh Bộ Lĩnh:丁部領)がこれを平定し、968年、ディン朝を開きました。
都をおいたホアルーはディン・ボ・リンの出身地で活動の本拠地でした。天然の要害であり、またダイラ(Đại La:大羅:現ハノイ)は中国寄りの勢力がまだまだ多かったことなどがあります。
ディン・ボ・リンには幾つかの伝説があります。ディン・ボ・リンはカワウソの子で気性が激しく、敵軍が自分の息子を人質にした際、ひるまず逆に息子目がけて矢を乱射したので、敵は驚き軍を引き返したといいます。また帝位についてからは、城門に煮え立った油の入った大鍋(鼎)と虎の檻を置き、法を守らない者はそれらで処刑するとして人々に恐れられたということです。国を統一したばかりで、人々を厳しく治めたことが想像されます。
ディン・ティエンホアン(Đinh Tiên Hoàng:丁先皇:ディン・ボ・リンの諡)には3人の子がいましたが、後継者争いの末、兄二人が(母親に?)毒殺され、幼い次子ディン・トゥエ(衛王)が帝位につきます。
将軍レー・ホアン(Lê Hoàn:黎桓)が摂政となりましたが、この機に乗じて宋(中国)が侵略してくる気配を察した家来達の推挙により、レー・ホアンは皇帝となり、幼帝は廃されました。レー・ホアンは、レー・ダイ・ハイン(Lê Đại Hành:黎大行)と称し、前レー朝が始まりました。妃は先皇の妻でした。
しかし前レー朝もわずか29年で終わり、王朝は近衛軍司令官として前レー朝に仕えていたリー・コン・ウアン(Lý Công Uẩn:李公蘊:李朝初代皇帝)に引き継がれ、都はタンロン(昇龍:現ハノイ)に移されたのです。