興味のある人物に限ってですが、NHKの「歴史秘話ヒストリア」をチェックします。
今回は、昭和を代表するシャンソン歌手。越路吹雪さんと作詞家の岩谷時子さんの友情秘話を中心にした内容でした。
越路吹雪さんと言えば、愛の賛歌、サントワ・マミーなどの名曲が思い浮かび、子どもながらに、その歌声が耳に残っています。日本人離れしたルックスとオートクチュール(ニナ・リッチやイブ・サンローラン)の舞台衣装も印象に残っています。
越路吹雪さんは、宝塚を27歳で退団し、シャンソン歌手、女優として活躍。70年代に最も光り輝いた歌手として知られています。56歳の若さでこの世を去り、その波乱の人生は、数多くドラマ化されています。
岩谷時子さんは、昭和を代表する作詞家として、ピーナッツの「恋のバカンス」や加山雄三の「君と一までも」やピンキーとキラーズの「恋の季節」などの名曲の作詞を手がけ、郷ひろみの初期の名曲やサインはV、不思議なメルモちゃんなどのアニメソングに、亡くなった本田美奈子さんのミュージカルの訳詩なども手がけられています。
越路さんの曲は、繰り返しドラマや歌番組で流れ、また、カバーする歌手も多いです。越路さんが、スターダムに昇るきっかけになったのが、愛の賛歌。原曲のピアフの歌詞は、なくなった恋人への激烈な思いがあふれた悲しい曲で、歌詞の内容を、岩谷時子さんが、舞台にあがる前日に仕上げたそうです。
その内容は、原曲とはまったく異なる日本語の美しい言葉で表現された純愛の賛歌となりました。岩谷さんは、越路さんのファンで、宝塚の編集部に入り、戦前戦後を通じ越路さんを支え続けます。
宝塚退団後は、越路さんのマネージャーを務め、岩谷さんが、作詞家として活躍するようになってもマネージャーとして無報酬で、越路さんを支えれました。
越路吹雪と岩谷時子。二人の出会いと友情が、永遠の歌声と詩を、私たちに幸せを与えてくれたことを、愛の賛歌を聴きながら、しみじみと感じています。
越路吹雪の愛の賛歌
ピアフの愛の賛歌