あげちうのブロマガ

自らの理想郷を飛んでも売れない

世間では既に3連休とか言ってるし、地元ではお祭りでもあるのです。

しかし状況は、そう言うの関係なしに進んでいると言えば、そう。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

なんか翻訳スイッチ入れないと明らかに似たような画像しか出ない是非・・・

 

ともかく今の理解では、「最後は紛争解決機構の決定で決着にする」が、最上位で、その決定に逆らうならそれは悪だ、悪であれば勝てない…というのがまあ、「正義」その最上位だ、というのがここの理解。その最後のイメージとしてあるのが「大賀さん」と呼ぶ概念的な、かのご神体ではある。

さあ批判してみろ(・・・)

目の前のパチンコ台が数万円呑みこんだからと言っても、破壊行為は好ましくない。

今の何かの境目は、”これ”に同意があるか無いか?では、有る。個人的には同意しない限りは、求める利益への道も評価も無い、だろうと言う感覚だが…それが物理かどうか?は、ちょっと断言し難い。

この辺の感覚は、「環境」それにも影響するとは思うが。逆に”この”支配からの逃亡というニュアンスで、その環境があり、そしてそこに有る程度の人が居る、という事態も或いは、有るかもしれない訳で…そこは、ちょっと是非の問題では、ない。

つまり、「環境の作者」の思想如何で、その場が認められるか認められないか?もまた、大きく変わってくる、訳だ。環境を創ってしまった奴は、その時。その思想が最終的には「大賀さん」それと同調するか?という問題はその発展を願うなら、真剣に考えるべきで、発展が無いなら、自身の思想それを矯正する、その必要もあるし、その上で実力不足そう言うのも自覚する、べきではあるのだが。

その「好きな環境」なら、今の状況で王様か何か、ではある。

そこから出られなくなる、というのも…何だか最近少し実感する何か、ではある。

私見では。ファミコンは、まだ勝てる。でもスーパーファミコンは、或いは無理かもしれない。

…もちろん現実的にはファミコンはレトロ総本山みたいな感じで、スーパーファミコンはファミコンを駆逐したハード、というべきなのかもしれないが。今も「ファミコンライクに作りました!」とか言うインディゲームとかを見てると、少し考えてしまう事には、なる。

いわゆる「ディベロッパー」の感覚、みたいな奴、だろうか。そしてそれに対して現場の否定がある。

依頼主は、結局は「利益が出るか出ないか?」しか、見てはいない、現場が創ってて楽しいかどうか?はあまり関係がない…が。確かファミコンは、「現場の技術者が創りたくなるハードを創れ」と言う命令かで創られたハードで、そしてそれは一時、世界を席巻してしまった名機には成った。どうも感覚では、スーパーファミコンはそう言う感じのハードでは、無い。現場に深刻なストレスを強いて、そしてそれを強要した、結果かで。ソフトの販売は伸び悩み、単価は高騰し、”その”ベクトルは、最終的にはプレイステーションに派遣を奪われる、というオチに成った、という理解は果たして、ではある。ともかくか、ハードその物もまた、ソフトの評価には大きく影響する、というそれは、深刻ではある。

ゲーム関係での「ディベロッパー」は、要するに「ゲーム会社の社長」と言う意味ではあるようだ。企業維持の為には利益は必須である、”そこ”で利益が出ないのなら、出る場所に移動するか、利益が出る道を模索するかは深刻な議題ではある訳だが。とは言え、或いはパブリッシャー、「その上の流通」の意向もまた、そこでは大きなファクターなのだろうか。

意外と、世界は独裁者に支配されている、のかもしれない。

その何処かの独裁者その意向が、まあ全体の面倒の原理かもしれない訳だが。

現状、ディベロッパーの要求は、中々現場のディレクターには届かない、感じもまあ、ある。ただ”今”ファミコンに舵を切っても、小遣い程度の利益くらいが関の山ではあろうか。かつてのファミコンと”同じ”様な方向性を探したい訳だ、が。それを今のハードの何処に要求出来るか?はそれはそれで、深刻というべきか否か。

売れるゲームを創ってくれないかな。

果たして、正義は何処に。

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