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あげちうのブロマガ

富と名声を求める先にその渓谷はある

それは、ちょっと納得の無い話ではある。因果応報というのは物理的な事象である。

つまり、今の貴方の現状もまた、貴方の理解か頑張りか、そう言う不足による訳だ?

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

「これあると便利だと思うんですよね、どう思う?」こっち見ないで(;´Д`)

 

ギリギリ、まあ自分が言っても良い状況、ではある訳だが(-_-;)。ともかく女性とか、だろうか。「ムカつく奴はぶん殴って言う事聞かせればいいだろう?」それに同意する時、そう言う男に惚れる?し、そしてそう言う帰結には成っていく、物だ、的な言い方。自分の夫があかんのは、自分がそう言う奴を好む帰結でしかない…教育か世代か、その時影響を受けた物、というのは大きい存在ではある。

飯塚幸三氏を糾弾するなら、そう言う方向でしか出来ない…そんな状況はある。彼は密かなる王みたいな感じには成っていたが、思想上に欠落というかがあって、最後は朝食を食べる為に二人殺さねば成らない、様な”限度”に至った。殺された方も、「その構造に同意があった」犠牲はやむを得ない、その中の最弱に過ぎない。もちろん?それは物理的に言えば正に、ああいう帰結に成る訳だが。

そしてもちろん、それに不満を感じる時点で、飯塚幸三氏が何故?に対しても理由は出来る事には。「上の人が、なんか上手くやってくれるよ」今の事態にしろ、その帰結でしかない。それはそれで、もちろん我々?一般庶民にしろ不満ではある。何を間違えたというのだ?日々を穏便に、何事もなく過ぎていく日常を目指して何が悪いのか。大金を得ているのだ、彼らは要求された仕事をするべきだろう?

飼いならされ過ぎた、というべきか。ともかく世界が複雑に成りすぎた、それは間違いも無いのだろう。

この渓谷に橋が有ればいい、それは解る、掛かった時の利便性の良さを創造するのも容易いだろう。問題はその先で、誰がどうやってここに橋を架けるのか?ではある。漫画だと「みんなで力を合わせてなんやかや」な感じではあるが、意外とその「なんやかや」に深刻な面倒が有ったりするのが現実ではある。昔?は、それで良かったのに。今は「どうやって?」を問われる、それはちょっと面倒に成った部分と言うべきか。予算、材料、技術。漫画家はそう言う事まで考えねば成らないか?ではあるが、ともかく依存される先には、そう言う話が出てくるそれは、間違いない。

実際には、一人で、には限界が見えているのに。漫画などへの理想それは今も、一人で、それを要求しちゃうし志向するそれは、ちょっと重い部分ではある。

「誰が創ったのか?」だ、その一人を、どうしても探すしそして、見つけたら徹底的に依存する、というのもその昔話ではある。この辺も、昔はまだ良い方、だろうか。対価の支払いは発生し得た、部分はある…昔は無理が通れば道理が引っ込んだ、が。貧乏で困ってる村が、どうやってその橋を架けるお金を工面するのか?ともかく昔なら「なんやかや」で掛かってしまい村は喜びに包まれる訳だ。そして”それ”を何かは求められる時、そこに対価は発生しないむしろ自費で出す事に成ったり?

その時、”誰か”がお金を出さねば成らない。その帰結で、飯塚幸三氏は良い穴場というか寄生先、それに近かったに過ぎない、訳だが。

クラウドファンディングも果たして、ではある。上の例で言うと、村の幾人かが外の街へ募金に出向く、というのも絵としては、有る。状況だが、果たして誰が応じるのだろう?その村が良くなるという事は、募金した人々に何のメリットがあるのか。「漫画ってそんな事考えなきゃいけないのか?」しかし出来れば、それは具現性を持つ事には成る訳で。

そして最大の問題は、「それは漫画家のスキルか?」と言う部分ではあろうか。天は二物を与えず、絵が描ければ話はおろそかになる、逆も真なりではあって。要求が集中している気はする。ぶっちゃけ、”打開”に関して「作者」を探さないで欲しい、というのが…現場の偽らざる想い、ではあろうか。

その先で依存に照準されてしまった飯塚幸三氏も、故にか今も、不満と疑問の中には居るのかも知れない。

 

※明日はお休みです。

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