それは、神を呪う瞬間ではある。
「私は有能なんだよ!」と、それは利益を出せない。
”利益”にフォーカスした場合、求めているのはほぼ協調性、でしかないというのは…現場的には何かのストレスではあって。いわゆる「空気読めよ」全体を形成する雰囲気に合わせられるか否か?みたいな、もちろん表現的には間違ってるが、”そう言う感じ”が現場で求められる何か、ではある訳だ。その中で、自身の技能を誇り他を卑下する奴は、その場にとってはお荷物か面倒の種でしかない、訳だけども。
とは言え、無理に対して「無理です」それを言うのも、或いは有能さの一面かも知れない?ちょっと自分も、だんだん何を書くべきか解らなくなりつつは、ある。
要するに、このところネタにする「売れない編集長」の問題は、想像以上に面倒になりつつある、感じはする訳で。
”彼”が制作現場に関わったら、利益が発生しなくなる、訳だ。しかし、公告代理店のか、プッシュを世間が無視できないまま、それは芽を出し始めた「ちょっと面白い」に関わっては、そこで問題を起こす様になって。現場は目的がある、その上では有用な筈が、提案されるそれは現場にとっては「面白くない」ネタでしかないし、或いは「無理」だ。最初の頃はまだ良い、ある程度は抑えられる、そして、相手も表面上、単なる技術者だ、が。
その後、そこで今まで何が起きたか?というと、「君は無能だから要らない」で排除した後、”その現場が”制作領域から排除される、という事態があった、訳だ。それで現場は”理解”していく、その無能を抱え続けねば成らなくなった・・・それが平成の多くの失敗作の原理に成った、訳だ。”それ”は更に歪んでいってエスカレートし、「面白い!」ウケた、所に行ってはそれをぶち壊す、様な事を始める。広告代理店はそれでも彼を王に据え続けた、悲願が有ったから、だ。「朝鮮の復活を」それの為には、その王による独裁は維持せねば成らなかった。騒動の原理そのものは、それが「無理」だった事に起因はする。その後継者は、手厚い保護と期待を背にしつつも「それは無理だ」に挑まされる結果、それを現場に発露、無意識かの八つ当たり?それをしていた、事には成る訳で。
状況はだから、公告代理店は状況の悪化などから、”彼”を王としては排除する、事には成った?
ただ、そこに残ったのは肥大した自意識の、しかし既に老年に成りつつある未熟、である。庵野秀明氏も過去には言っている、「絶望してからが始まりですから」。本来なら、或いはグレートマジンガーの頃に「自分は下手だ」ある程度の自覚、理解、それを得てその上に知識や経験を積み上げていく事に成るのに、”それ”がまだそこには起きてない?訳だ。「自分は天才なんだ」そんな、周囲から持ち上げられた結果の誤認かプライドは、「売れません」と言う結果を前に、今も何かの戦いを続けている。
・・・ある種の理想はある。「無能でも前に出れる」それはそんな、歪んだ同人の象徴として、奇妙なフラグシップに成っていった…訳だが。
今その、「売れない編集長」それがどこに居るのか?それは、ちょっと解らない。
想定では、切り捨てたとしても「死ぬ」様な事には成らない、しかし。排除される理由が今「結果を出せないから」それだけ、というのはどうなのか?ではある。自分の主観は、何かの横暴を我慢してる状況ではある、権限が無い事が・・・何かの幸いでしかない訳だが。民尊主義、民にとって最善とは何か?を選択する時、しかし個人のそれは、何かの暴走の原理でしかない…それはそれで重くある訳で。
結局最後は民主主義を否定できず、そこに依存していく?のは、果たして是か非か、ではある。