良くも悪くも人間、「理想」それにしか金を出さない、そんな感覚はある。
だからこそ、か。漫画やアニメにはドロップアウトした様な連中が集う、訳だが。
結局は「理想」それは、切り捨ての無い世界、という事にはなるから、だろうか。良くも悪くも?”それ”を妨げるモノを「邪悪」と定義し、それと戦うというのを昭和の頃からの基本コンセプトにはしてきた、とは言える。ただ結局、施政者の視点が無いとその現実は解らない事と、施政者の視点でも視野範囲には限度がある事と、理想論は理想でしかないまま、現状もやっぱり何処か、切り捨て、それを創って今に至る訳だが。
理屈の上では、コピーはオリジナルに勝てない。
しかしなら?「漫画」を原作に描いた「アニメ」それは、”売れない”のでは有るまいか。それは何処まで行っても”オリジナルのコピーに過ぎない”のだ、「作者が描いてない」から。という視点の時、客は何を買っているのか?というと、実際には、ではある。
オリジナル回が始まると急に停滞する、そんな現実のそれではある訳だが。
要するに、「技術だけではお金に成らない」訳だ。作者は提示したい理想があり、”それ”を提示する為に絵の技術を用いているに過ぎない、訳で。”それ”を提示するからこそ?実際はコピーでしかないアニメにも価値が出る、という図はある。技術偏重では、やっぱり切り捨て、「使えねぇな出てけ」が出てしまうそれは理想とは言えず、そしてそれは、如何なる現場にも発生はする訳だが。
個人的には末端に、パックマンの二面を超える能力以上を求めるのは好ましくない、とは思う。
そして逆に?それをクリア出来ているなら、「それを捨てる」という事は、基本許されない。
散弾銃発砲事件での犯人は、でも一応?「銃を所持する許可」それは得ている、のだ。そして良くも悪くも、銃を的確に使用するスキルも、勿論持っていた訳で。全く何のコミニケーションも取れない、状態じゃなかった、要求されればパックマンの二面くらいは安易に超えていくだろう。その時、”それ”を切り捨てる選択、それは理想とは言えない訳だ、が。
自分も正直、農業の現場では、今もちょっと、ドロップアウトしてる有様は、有る。続けるだけ損失が増えていく?にも拘らず、一度の失敗を取り返す術がほぼ、無い。ついでにカウンタ数値、社会その物?にも捨てられてる状況。体感論では、”個人創作の上限にぶつかった”部分もあったかもしれない。ともかく解っている事は、家族でやっても利益が出にくいモノを、より少数で続けても何の意味もない、そんな農業の現実ではある。
”これ”はでも、現場では「劣等」それとして切り捨てられていく、のだ。
どうも犯人には、同情的には成る。自分が陥った状況に、巻き込まれた、感じもしない事もない。”こういう事を言う”口の達者かの氷河期世代を、切り捨てた世相の感覚は結末かで、アメリカ並みの銃乱射事件を起こしてしまう訳だが。そう言う威圧は今、少し、影を潜めた感はある。良くも悪くも結果、責任を追及される際での多少の変化はまあ、思う。アメリカもディフォルトを回避はした、が。それはつまり、「貸元が、更に貸すのを了承した」という事ではある。その時、何をネタにそれは了承されたか、世界は変化したか?何かの節目になったのだろうか。
先日の、「信州なかの」というVtuberは、個人的に思う「アートスケール」ではちょっと、悪い。
「Vtuber 信州なかの」
主題 2中野市の紹介
情景 3中野市のイメージキャラクタ
描写 2Vtuberとして
注意 1うさみみ
主張 0かわよ
矛盾 0何故?>いや何となく
技術 4一応 個性 3まあ 一般 2うん 独自 1え?
18点。
少し補正は、考える。
主題 中野市に来てくださいっ
情景 地元の魅力発信vtuber
描写 里山っぽいイメージで
注意 白い被り物
主張 郷土料理の"おやき"です
矛盾 何で?→えのきも白いし
こうだったら?もう少し数値は上がるのでは有るまいか。郷土の有名人として「中山晋平」その歌の一つの「ふるさと」そこに、「ウサギ追いしかの山」というフレーズがあって、ウサギのイメージはそこから、ではあるらしく…現状とは合致してないにしろ、「なんでウサギ?」には理由は有る、様なのだがしかし。その辺の混沌から、展開が同じく混沌としてるのも感じる所。とは言え、廃棄というのも、もったいない感はあり。
※[故郷」の歌詞は「高野辰之」でした訂正してお詫びします(>_<)。また、平地にはおりませんが豊田村付近には野兎は確認できるそうです、もちろん白くないですが…。
そうでもないかもしれない?
世界を覆う「雰囲気」は今も、劣等を切り捨てる意欲に満ちている。
自身が劣等だという、それから目をそらすためか。