多少、変化。
以前にHPの方で書いた「プロデューサーの心得」というネタに、ここで多少の改訂が入った、感じ。
「プロデューサーの心得改」
「嫌なら見るな」は禁句。
「男女の性愛表現」それは禁止。
「大賀さん」には逆らうな。
最後、「プライベートアドレスは晒すな」だったのだが、そこをちょっと拡張、というか変更。確かに従来のそれだと、テレビの場合は特に「プロデューサーが神に成る」場合が出てくる、というのは有り。結局は”その先で”過失が発生する、という現実は有った、訳だ。極論化される現場で、テレビの”それ”は制御不可能な魔物、それと化していた、というのはまあ、ある。
その上で、「大賀さんには逆らうな」加害の自覚があるなら尚更、という、そう言う位置と理解の変化は、少し感じた所。
”それ”はテレビの変化を産むのか否か、そこは少し疑問ではある。
テレビと言う形態の問題だ、それは最終的には、一つの番組で「全て」を内包しようとする、結果で、”それを管理する存在”を「神」と誤認させてしまう。男性が「これで良い」と思って居れば、その妻?に相当する人々も総じて「これで良い」それを男性の理解が及ばない様な極論化で行う訳で。その中に、単刀直入に「神」と自称する魔物に変質してしまった人、そう言うのがまあ、結構いる訳だが。
一応、男女問わずこんな感じの、その辺の、夫の制御が効かなくなったそれは、果たしてそれでも、「大賀さん」その前で少しは屈したろうか?そこは謎だ。夫は夫で、その補正が出来ずに居る訳で。「何が間違っている?」最終的には自身の願い?の様な所に依存する、が。現実は、そうも簡単には「非現実」を許容はしてくれない、そう言うのはある。
以前の”それ”は、男性なら同意し「正しい」と言ってしまったそれではある。男性上位の社会では問題なかったが、そうでなくなった時、そこには魔物が居た、訳だ。欲望?その権化の様な”それ”は、何処まで状況を歪めていたか、ちょっと考えたくない感じも。
「責任を取れ」
その要求は更に、事態を悪化させていた、そう言うのはある。死んでしまったら、殺してしまったら、過ぎてしまったらもうそれは、取り返しがつかないのだ。その時、その過失は果たして誰の責任か?だ。混沌としたまま、過失の意識を抱えつつ、それは歪んでいた、そう言うのはある。
主婦に対して「ヒキニート」というのも、問題は多い訳だが。
”夫”の責任と言うべきか、或いは。ともかく多少か、問題がかなり深刻化し、そこに「何でか有った責任」を、取らねばならなくなった、感じはある。「単なるヒキニートが神様だと?」その先に有る現実だ、”それ”を言う人々も次第に老いて、同じような境遇へ至る、その時、蓄積する憤慨は余計、魔力を強めて行ったか?
”夫”の責任と言うべきなのだろう、それが、夫の責任と言うべきではある?
ともかく「コネ採用、それは混沌しか産まない」と言うのは、何となくハッキリはした所。今後はアートスケールでの査定を重視するべき、そう言うのはある。
ただ”そこ”で適当な数値さえ出していたら、飛び級でも門外漢でも関係ないのだ。
その方が、納得は出来る。
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10752460
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