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あげちうのブロマガ

神がゴミ出しに行く時

それは、「黄昏の狩人」と似ている。

「プロデューサーの心得」は、享受された存在に夢の具現と富を齎した、様だが。ただ、昭和天皇が崩御した後は、”それ”に過剰な「要求」が載り始めた、という…そう言う事態は有ったのかもしれない。

「黄昏の狩人」も、本来なら同人サークルでの意思共有の為に創案したモノ、だ。ただ、”それ”がテレビにしろ同意する部分は多々あり、結果として平成の時代を支えつつ「インターネット」その土台に成っていく、訳だが(作者の同意は無く)。これも、近年か問題が発生、結構面倒な話の先で改定する、という事態は起きている。想定外、それはどうも有る。

そもそも、言うなら良識でしかない。


「嫌なら見るな」は禁句だ、テレビは誰が見るか解らないメディアだ、それを踏まえて番組は製作せねばならない。「男女の性愛表現」それは面倒の元だ、人によっては不幸も痛みも有る、全ての人々が努力次第でどうにかなる話では無いなら、それは避けた方が良い。「プライベートアドレス」を晒すのは、視聴者の余計な推測を呼ぶ事にも成る、面倒は良くない、危険でさえ有る。


ここまでの話で、何の問題があるだろう?しかし?これが「戦争の選択をする領域」まで入ってくると、話は少し変わってしまう。この良識には”その”範囲の教義、そう言うのは含まれていない。あくまでも「そう言う上位が居る」上での、テレビ番組を製作する上での心得でしかない訳だ。求めに応じて返答した、そう言う感じでしかないだろう。

その「上位」が、不意に消えてしまった訳だ、平成に入って。

日本は戦争に負けた、形であり。アメリカの統治を受けた、経緯がある。原爆投下の”過失”を背にしてのそれであり、結果、”かなり”日本には有利な条件でむしろ、保護された訳だが。それでも文化面は多くアメリカの支配を受けて、昭和は有る訳で。この領域に、「王の権威」それは直接的には”居ない”のだ。テレビ番組を登っていく先に有るのは、その時実は?何かの虚無でしか無かった。

あらゆる良識の、その足場が無い事に、不意に気づく領域がある。

という時、この「プロデューサーの心得」不動なるそれは?奇妙な重要度を増していく事に。


という経緯から?”それ”を受け取った人が平成で、かなり密かに、何かの重要な人物に成って行った、可能性は結構、ある。ただその結果、家庭環境に問題が発生し始め、そのストレスからか、邪なる問題が伝播し、娯楽産業を汚染していた、そう言う経緯も想像しない事も、無い。

改訂は、上手く行った、可能性は結構、ある。が、それが直ぐに全てを抑止するか?と言うとそこはちょっと混沌ではある。正直言うと、この心得を持った人にとっても「前の方が良かった」のだ、神を名乗る、そこまでの立場、”それ”は求めていない。客観的感想はともかく、改訂しなくて済むなら馴染みの理解だ、その方が良い、が、しかし。

そのまま膨らむのは、同じ話の繰り返しには、間違いなく、成る。


これは何度目の、「世界を歪めていた魔物を見つけた!」だろう。

本当に事態は進展してるのか、じっと手を見る。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10799985
https://publicdomainq.net/amadeo-de-souza-cardoso-0057055/

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