表現としては、陳腐だ。
ただ、場所がちょっと違う。
”遊び”が無い。
車のシャーシその他、多少の「がっちりしてない所」が無いと、何かの衝撃を中和出来ず、壊れやすくなる。
「そう言うのを創ってない」のは、ヘタな仕事だ。
しかし、この理解をガンダムに向けると。
ガンダムで、エロックスガンダムを認めないとは、このヘタクソが。
…そんな、ニュアンスではある。
疑問が形を創る前に、この話はどんどん先へ進む。
理解出来ない奴には、教えても判らない。
解らないならそれまでだ。君はここには必要無い。
一生解らないとは思う、君には理解出来ないだろう、才能が無いと言う事だ。
残念だ、君には失望したよ。
…この辺、テレビ的倫理にも何となく反論に同意が有るのが、混沌の深い所ではある。
ともかくガンダムに置ける「遊び」その位置が、”ここ”だった訳だ。
それを、何かの意識は認めがたかった。
この辺、ゲームにも現れはする。
今の「星と翼のパラドクス」その先に、スポーツ、プロ化、そんな可能性は有るが。
そこには踏み込んでいない。結果、「ゲーム」として、今は大きな価値を持ってる。
失敗したこの意識は、しかし?その先へ踏み込もうとする。プロ化。
その時、こういうガンダムが有る、訳だ。
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色々思うに、例の「ビルドダイバーズ森宮草案」その、最後に出てくる「ガンダム00ビルドダイバー」が、或いは、「こんなイメージ」ではある…カラーは違うかも。まああの短期間で、イオリ・セイが”これ”を組めたか?には重い疑念は有る、が。ともかくまあ、「私はゼビウスのプロです」そんな、実際には台詞が、形に成った感じ。
あかんやん。
とは言え、「遊びが無くなった」あの空間では、”こういうの”を投入しないと、打開は出来なかった、かも。世代の問題だろうか、「その先へ!」進む時、利益性の一切ない事が”仕事”に成ってしまい。そして、”それ”が換金性を持たない事が、何かの不満と共に、そこに残る。
「才能が無い」時、ここが理解出来ない、訳だ。
遊びは、必要である。
ただそれは、遊びだ。