基本的にはガンダムにより、市場管理者の現実が一夫一婦でも、体勢的には一夫無限妻(理念上は)が可能になったのだ、が。
結局「国民」を夫に、一夫多妻状態の「妻」をモビルスーツに例えてしまう事になる時、やっぱりそこに「女性」のイメージは投影される(また、”価値が高いモノ”を女性に例えるのは世界的にも普遍的な価値観ではあり)。「MS少女」とかを、何故わざわざ制作するか?そう言う衝動があるか、”だから”だ。天皇家にも昔は側室制度があり、機構的には一夫多妻の概念に対して、特に否定感がある訳でもない、が。ともかくアメリカ側の要求を呑む結果、西洋文化との折衷案が求められ発生したのが、今の形式だと、ここでは定義はしている。
MSは、”それ”が象徴する文化とは「国民」にとって一つの妻である。どれをどれだけ重視するか?は国民の認証に寄るのだ。結果で、天皇家は一夫一婦で有りつつも、国家統制に関する制約を超える事が出来、た?
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そこで問題として有る?のが、何だか不意に考えちゃった「エロックスガンダム」ではあって。
テレビゲームが無い頃は?スポーツで有っても「プロ化」それは割と普通の話で、要するに要求に対して必然の結果は当然定義、出来た。将棋だろうと、始まったら試合終了まで最後まで続ける物だ、途中でリセットなど有り得ない。「同人誌」は当時もあったろうが、”それ”も製本しない限りは同人誌として認められる事は無く。だから、「一つの形式は必ず有った」訳で、それはMS少女として、「ガンダムもどきのビキニアーマーを着た女性像」それとして創れはする。当時理解されていた「文化」なら、ガンダムの認証形式で何ら問題は無かったのだ、が。
テレビゲームが大きく成ってくると、そこに問題が発生してしまった訳で。
テレビゲームには、「エンディング」確かに実際にはそう言うのは、無い。100円を入れるとしても、そのまま席を立っても良いし、クリアするまでつぎ込んでも良い、それは自由だ。「だからこそテレビゲームのプロ化は違和感がある」訳で、結局?「ロボットの様には成らない」のだ、”特に”その終わりに関しては。妻との、その一つの結論としては、結局”そこ”に関するそれであり…そこで何を発生するか?は、その人次第ではあって。要するに、「女性の生身としてのそれ」こそが、テレビゲームのテレビゲームである由縁でさえある。
何を言わせる。
ともかくそう言う価値観での「形成」をする時、特にバンダイから”それ”をプラモデルとして出す?様な事は「出来ない」(…多分)。認証機関として認証出来ない訳ではない、のだが。やっぱりちょっとした”特別扱い”に成ってしまう、それはどうしても。この辺、当初の設計に関する不備である、それは言えない事も無いが。問題はじゃあ、これを破壊して作り直すか?と言うと。
…既存のガンダムはどれだけMSを創ったのだろう?
MSは、文化を認証している。”それ”を破壊し一から作り直す?のは、それこそ同じくらいの月日と労苦が必要にならないか?テレビゲーム以外なら、そんなに問題ないのだ。テレビゲームのプロ化に違和感がある、それも一般倫理に関して合致は有るし、認められない訳ではない、絵には出来る、なら。今の状態でもそれほど問題は無い、有志一同での勝手な話で産まれるガンダムも、結構有る訳で。同人領域の勝手な、同人らしい認証、それで十分ではあるまいか?今の一般感覚から言っても、ゲームは少なくとも知人友人らと楽しむ為の物、だ。
…ちなみに今までの話は、「エロックスガンダムにパンツを履かせないのは何故か?」である。
踏み込んでるぜ・・・修羅の道によぉ・・・。