当時のそれは、あくまでも望郷か哀愁かと言うか、何かの諦めでしかない、しかし。
物語はその先を匂わすし、そして、それを願うのが人の性、そう言う物だろうか。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
その先はまだ、誰も進んだことのない聖域
正直言うと「ジルベスターの星から」の意味は、昭和天皇その視点での擁護かそう言う感覚でしかない、気はする。「彼らは頑張ったのだ、命懸けで。後の人々に愚かと笑われようと、それを笑う事は出来ない」昭和天皇の立場が”それ”を言う、という事に価値?の様な物は重くある。特に、良くも悪くも太平洋戦争を体験しそして凌いだ存在ではある、その、常人なら踏み込むべきでない領域を体感した人の意識、その上での”それ”は、今もってなお、代えがたい至高そう言う何かとしてはまあ、ある。
そしてそれ故に、人々はか、「その先」無駄ではなかった、そういう未来を求める事に成るのかもしれないが。
昭和が終わった頃の「無念」それは、だから今もまだ、深刻に重く残って居るのかもしれない。今の例で言えば「ジルベスターの星で人が長生き出来れば、何かの救いはあったのかもしれないのに」だ。原作の劇中では、救いに相当する物は主人公の優秀さ、みたいなものしかない。彼ならなんとかするかもしれない、しかし。その願いを或いは託されたかの鳥山明氏は、最終的には打開する事は出来なかった、後人にダメ出しされるくらいに、大した結果は出なかった。
「力で押さえつけるだけじゃダメだ、人間の悪癖を神様が真似てどうするんだ」
まあ確かに、それまでの最強が未来から来た少年に一刀両断にされちゃう感じ、かもしれない。
ただ、この例の場合、主人公?は或いは無責任にその任を捨てる、事にはなる、特に答えを出す訳ではない。
―夢の中で少年は、現れた妖精から「神の指輪」を貰う。それを使えば如何なる脅威にも対抗し得る、それで世界を平和にして欲しい、しかし。ある程度力を使った少年は冷めた視線でその指輪を海に捨ててしまう。これでは単に力で押さえつけただけだ。神なら、もっと他の方法を模索するべきだ。そして少年は日常に戻るが、空の上では神と悪魔が賭けをしていた。渡した指輪は神の力と偽った悪魔の指輪であり、渡された存在がそれをどう使うか?で、滅びの日を決めよう。賭けは神の勝利に終わったが次は解らない―
「では、どうすれば?」
それはもちろんこの、自作には描かれていない。
当時の「無責任」その、結末とその後、みたいな状況ではある。因果というのは…そう言う物かもしれない。ともかく昭和末期に残った「希望」みたいなものは、今も具現化しているとは言いがたい、訳だ。鳥山明氏をもってしても、或いは”当時の”ゲームセンターの大型筐体、その収益性の悪さ、を打開は出来ていない、という事はありそう。筐体は300万円前後、一回200円だとしても、単純には200円で15000回、平均して日に10人が遊ぶで約五年の稼働が要求である…そこまでの長期需要はかなり、困難だ。そして、結局ゲームセンターは斜陽を迎えている。
人々の意識の問題か、製品のクオリティか。何かの失望の中で、打開は今も見つかっているとは言いがたく。
不意に、「世の中を救うなら、暴力以外の方法が有る筈だ」そんな、過去の自分の声が重い。