理想と現実にはかなり差があるというのがまあ、普通ではある。
それは或いは「神様」それへのイメージとして顕著、かもしれない。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
主人公の選択は、というのは定番ではあるが両方って駄目なん?(・・・)
とは言え要するに、多くは人間にとって「都合のいい救済者」の事なのだが。困った時に助けに来てくれる、そう言うのが普通の「神様」ではある、しかし。数多の物理的事例を考えても、そう言う神様は居ない、というのがまあ、現実ではあり。そこにあるのは単なる物理でしかなくそして、「人間が要求する事で出来ない事はほぼ無い」世界は、そう言う物理に支配されている…要するにか、そう言う話でしかない。
ファミコンで沙羅曼蛇を創る事は出来るのだ、単に非常に難易度が高いだけ、ではある。
「話が違う」それは、不意に思う。
今までの”自分の”経緯では、「危険水域」その先に踏み込むのは命の危険を伴う、様な話には、警告は出ていた。ただ実際に「事故」それが起こる際にそう言うのはあるか?というと…それはケースバイケース、ではある。一つの喪失の前には20の間違いが起きている、とか言う話?がある、マクロで見れば警告は出ている、とも言えるのだが。それでも本人にとってそれは突然の理不尽には成る訳で。
…今は、どういう状況だろう。
「大賀さんの決定に従え」それは、今の最後の神判、ではある。「反論が無くなったら可決」大賀さん”その一つ”として一番か身近な神判、かもしれないこれはでも、結果的にか鳥山明氏の死、それに至った、かもしれない。本来は”神”とは救済者で無ければならない、のだ。ただもちろん?高校野球で優勝し得るのはあなたが支持したチーム、ではない。
感情論と物理とが、ちょっと衝突している感じは重く。それを前に結局は機械的な判断をする事に成っている自分の様に、自身の現状を考えてもちょっと問題は感じない事も、無い。
ともかくなんとなく解っている事?として、鳥山明氏が「もうちょっと」幾ら成功しても届かない、執着を捨てられない感覚を、多くが感じている、そう言う事態ではある。そして今も、”そこ”へ至る術、そう言うのが明確には見えていない、シンプルな話なのに、それが何故か奇妙に遠く…結局、彼も到達出来なかった?領域ではある。
願いが叶わない、のだ。
「何故?」それは今も、明確には原因が解っていない。
少なくとも「大衆は神である」その思想は、どうも鳥山明氏を納得させる事は出来なかったしもちろん、実は彼の抱えていた固執、「願い」それを具現化させる事はしなかった、感じ。理解では、”そこ”には物理はある、最強を目指す時、必ず自分の鏡みたいな存在が前に現れるのだ、そして”それ”を倒す事は出来ない。しかしそこで勇者が魔王と懇意になって世界の支配者に成りました、では話に成らない訳で、”物語は”何か違う結末を要求する、その時、その結末とは自身の夢の終わりを意味するのであって。
「漫画だから」それは、その時その悲痛を回避し得るのだろうか、或いは。
世界とはそんな、「到達し得ない願い」が集うそんな場所、ではある。