あげちうのブロマガ

最後に居る誰かと言う混乱

「世界統一政府」その見解としては。

eスポーツ、にしたがっているコンテンツの全てが「なにそれ」だ。

要するに、「PS5を買えない連中はその場に入れない」様な、そんなコンテンツをスポーツとして認識するのは困難だ、という理解。スポーツを名乗るのなら?サッカーの如く、道具さえ自作すれば出来る!位で無ければそう呼べない、のではあるまいか。スキー板も、昔は下駄形式だったと言う話。今のeスポーツは、結論ではコンテンツを売らんとする、ちょっと歪んだ熱意でしかないのでは。

多分、良い事を言っている。

ただもちろん?主張としては穴だらけ、と言うのも間違いない話だ。今のスポーツが、どれだけ金のかかる趣味か?ではある。それを前にしては、「自分が買えないから」しか根拠のない話を、道理として通す方が理不尽だ。

とは言え、せめてゲームセンター形式に成らない限りは、スポーツ認識はちょっと困難なのではあるまいか。PUBGなんかは、そのルートが十二分に有り得る、ネットカフェの十分な性能のPCにインストールされて居れば、ハードを持って無くても定額で、適当には楽しめる?訳だが。

目的には合致が無いだろう、故にまあ、この辺でさえ次点、だ。これが次点で有る限り、現状のコンテンツでeスポーツとして認められるモノ、それは存在しないとは言う。


…ネタのつもりが、そうでもない、感じにも成りつつはある、かもしれない。

「世界統一政府」その理解は、何だか自分のスタンスを安定はさせている。

良い意味か悪い意味かは大いに疑問だが。無視して良いレベルで、それでいて間違いでも無い、まあ現状、妥当な範囲に居る。これで良い訳でも無いのだが…思想の問題だ。

大衆は神である。

その神の神判を待たずにお前が先行してどうする。

結果、「牢陽帝」それは今も、甘んじてか、何だかリアリティだ。

その意味で、「お金お金と言えば良い訳では無い」と言うテーマの作品が、大ヒット、という訳にも行かないそれは少し、面倒な混沌としてはある。売れなければ人々へ伝える事も出来ないのだが、その結果でお金持ちに成ったら主張との衝突は避けられない。創作の利益性、価値?そう言うのは良くも悪くもそのレベルまで、非常にミクロまでマクロな視点で問われる現実はあって。中々、数値的なヒットと言うのは難しい訳だが。

主人公を助けて悪い状況を打開する、のが最もやっぱりシンプル、だろう。

始めが肝心、終わり良ければ総て良し、そんな感じが極意でさえ有る。


一応、これも「世界統一政府」その見解ではある。

神判は果たして、何を目指すのだろう。

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