それが実際の「難しさ」ではあるのだ、少し電圧が高かっただけで回路は破壊される。
実際は「そう言う領域に居る」と言うのは、少し自覚した方が良いのだろうか或いは。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「うーんどっちにしよう」神様(;´Д`)。
ウクライナ危機も、始まってもう2年、ではある。自分の想定では「紛争解決機構が入って、ウクライナの負けで決着したのにウクライナはそれを無視した」と言うのが開戦の理由ではあり、だとしたらウクライナは負けねば成らない、それは今も変わっていないが。紛争解決機構が入ったにも関わらず、「決着は出ている」にも拘わらず今も、戦争は継続中、それは多少の徒労感のある現実ではあるのだった。
…そもそも、ロシア側も公表しない情報を既成事実の様に語られても困るのだが。
「戦争をテレビゲーム(的なモノ)で代行しよう」と言う、感覚その物は古い子供向け漫画の中には良く出てくるネタ、ではある。ただ描き方的には「ファミコンで勝つ為に腕を機械に改造した」とか、ちょっとギャグと言うか荒唐無稽と言うか、あまりリアリティという方向では無かった、のはまあ確かではあり。それは結局「ってなったら困るだろう?」と言う、作品的には”そこ”にこそ目的は有るのだった。今も、もちろん平成も、昭和にしろそれは「それは無理だw」そんな嘲笑のネタではあった訳だが。
テレビゲームは、それを否定するかのように、今の様なグラフィックと処理能力を獲得してはいる。既に「戦場の絵」としては実写と大差ない映像が普通に成ってしまっていて、そして現実にそこでは毎日か、人々が「アバター(キャラクター)の殺し合い」に興じているのだった。故にと言うか、戦争法で「戦争はまず指定の仮想戦場にて決着に」と提唱されればそれでそこが現実の戦場になる、それはまあリアリティの一端としてはあるのだけど。
戦争法と言う物がまあ、あまり機能していない、のも現実ではあるのだった。そしてもちろん、”そこ”で提起されていないのに、「紛争解決機構」それが仲介しても影響は薄い、それもまた、一つの絵ではある。ハマスとイスラエルの対立も、結局は長期化の様相を呈しては居る。理由なき暴力への応報としては現状が妥当でさえあっても、自滅する未来に対してハマスは何か意図があったのか、そこは謎だ。
この時、世界の未来はどっちか?ではある。”世界”物理、そう言う物の「個性」として、それは何処を向いているのか。核をお互いに背にしても、それでも対立その物は解消出来ない、その先に今のウクライナ危機が有る訳だが。ともかくゼレンスキー大統領は、国内の経済を改善する事は出来ないまま、親ロシア派を切り捨てる選択をし、それによってロシアの激昂を招いた。この視点では「無能」でさえあり、そして紛争解決機構の決定も”そう”出ている、のだけど。それでも、世界はウクライナを支援し、戦いは長期化していった訳で。
その先で、変化していく現実もある、「過失」責任それは、如何に偉大な物だとしても失う物は失われていく、その結果で「道理」は、そこを支配していくのだが。
しかし或いは、「それを求めたから」それは、そこにあるのだ。
世界は、何を目指している。