あげちうのブロマガ

迫りくる邪悪な巨魁に念仏を唱える

「艦これ」はガンダムには成れない、というのが少しハッキリしている、というのはあるが。

正直ガンダムにある問題は、永遠にそのままか?というそれもまた、何かの暗雲ではあり。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

「友軍か、有り難い。案内しよう、こっちだ」脅威に対して防壁の設置は進む?

 

「依存先」が、壊れた、というべき…だろうか。飢えた何かからは「なんでこんな事をしなければ成らないの?」それへの返答が消えている、しかし。返答し得る物は否定してしまった後、だ。故に、彼らは”それ”は参考に出来ない。残ったコンテンツに依存していく先で、それは壊れて?しまう。それは矛盾ある暴挙というべきだろうか。「私は神だ!」と言いつつ、それは依存先と言う名の餌を探して吠えまくっている。

Wikipediaに正解が書かれていると、それは何処が保証してくれるのか?だ。

もちろんだが、他人に聞きまくるその自称神が、正しい?保証は何がしてくれるのか?ではあるが。

創作の方法論に関しても、答えは聞いてない、「自分は正しい」その事例か同意、求めているのはそれだけではある、のだろう。「それで何故成功しないんだ?」間違いだ、という返答は聞いてない、成功しない理由を求めてる、誰が妨害しているのか、それはどうやって?だ。”それ”に、何故か世界は今も、主導権を預けている現実は、ある。ヒットラーも言っていた事か、「なら、選んだ国民を責めるべきだな」民主的に、というその先で、何故かヒットラーは現れ、世界に対して戦いを挑む事には。

実際のヒットラーは、「なんで私の絵画を買えないのか?」に同意を得られれば消える、感じはある。”それ”はまだ、購入する上での条件を満たしていない、テーマも主張も、或いは個性も独創も無い。技術とはそれを表現する為にあるモノだ、”それ”だけでは買えない。ただ、逆に言えば「凡百の不足有る志願者」に過ぎない、のだ。その後ろには何処までも、その類型的な予備軍は居る。

ヒットラーを止める事はまあ、出来る。アートスケールは結構、堅牢な壁だ。しかし、「何故?」それはそれで、違う別の深刻ではある訳で。

創作全体の方向性、「それを描いた理由」主題が必要だ。何をどう描いたのかは大事だ。その上で何処に注目するべきか?そしてそれは何を意味するのか。皮肉的な話も自制という意味では大事だろう。当然、それがそれだと解る様に描ける技術は大切で、コピーではない証明も大事、そもそも世間に受け入れられる物である必要はあり、出来れば独自の道を模索した方が衝突は無い。

「なんで、そんなものが欲しいんですか?」

或いは自分の作品にも向いている”筈”の疑問に、アートスケールだけではこの先に回答はし難いが。この問いが、それ以上を求めている訳でもない。

要求されれば説明は延々と出来る、自負の様な物さえあるが。正直、人に説明する時、一行20文字で3行以上は無意味だ、というそれはあるかもしれない。自分はこれで良いと思ったんです換金してください。それは逆に問いたいが何故かこの時、問う方が微妙に弱いのは何故なのかはまあ、問いではある。

とは言え、視点が歪んでいく、のは…自覚する所だ。餌を盾にしなければ芸もしないペットを飼う意味とは?という事を言い出したら、その時それは、少し姿が変わっている、そう思うべきなのかもしれない。先の問いは、問われる話である。「自分はそれでいいと思ったから」極論すれば、その評価基準も設定者のそう言うモノでしか無いのは、まあ自覚はし得る。ただ一応、このフィルタを通すと、「大衆」と言う神、”それ”もまた、購入してくれる可能性が高まる。「良い商品」それを、それはそれで動物的に嗅ぎ分けている、だけでは有るのだが。

お金が無いのに、お金を持っている、感覚はあって。

世界は今、”それ”に対してどうやってお金を盗ろうか、それを考えている?

どうも、実験室のチンパンジーの必死さと、それを否定する感覚に同意しちゃうのも少し考えモノだ。とは言え小鹿を丸呑みするコモドドラゴンを評価すべきかは疑問もある訳だが。

「神」と言う存在は、その時”全て”を救ってはくれるのだけど。

それを世間では無責任か責任放棄、そう言うのかも知れない?

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