「大衆は神である」と言う思想では、疑問、は発生し難い。
「客が必要としているから」客がそれを良いと言うから、以上は考える必要が無いからだ。
「ガンダムで、最後の神判をしているのは、今は”あげちう”である」
異論は多々あるのだが、ともかくそうじゃないと、色々と危険で、そして安定しない感覚には成る。ガンダムと言う紛争解決機構、に成長してしまった何かの、一つの欠陥と言えばそうだ。それは「昭和天皇」その判断を最後に必要とし、彼はその時、「王の権威」だった。それ以外では不足が出る時?それは富野監督でさえ手に余る代物、ではある。
現実を前に、或いは自身の願い、それを続ける為に、折れねば成らない、これは「そんな境目」だとは言う。ガンダムを創ったのは富野監督だが、彼は、或いは初めから、”この存在”の王じゃないのだ。
この辺の感覚は、あの「ドラゴンボール」にもある。神龍を創った”神”には、願いを叶える事は出来ないが、神龍になら可能である。ただその為には、ドラゴンボールを集める必要はあるが。「神とは何か?」と言う、そんな問いの、納得し難い、しかし奇妙なリアリティだ、”神”とはそんなに、期待される程には、「使える」存在じゃない。
この辺を苦笑して、或いは平成の大家らは、居る。
結局、需要の問題ではある。
「何の意味があるんだろう?」
創作で?不意にある疑問の多くは、「需要」それを無視する所から発生する。まず、売れなかった”それ”はその時、客には必要が無い。必要なのは作者だけだ、それを続ける事こそが自身の願い、しかし。それは次第に疑問に埋め尽くされて行く。
何の意味があるの?
ここに、理屈を駆使して耐える事が出来ない訳じゃないが、やっぱり「お金に成らない」「自腹を切っていく」様に成ると、その問いを無視し難くなり、やがては何かの鬱状態を発症していく。そしてそれを客?に、視聴者に問い始めると、そこには何かの疾患が広がり始める事には。
「売れれば良いんだよ」
を、否定した、或いはそれで否定された、それを否定した先にある、良くある、しかしいつも問題になる、これはそんな病魔ではある。食料品を買いに行く、意味は?それと同じくらいに、創作へもそれは求められる。自分に必要なモノを客は買いにくるのだ、だから、その必要なモノを供給して始めて、それは「価値」として認識される事に。自分が良いと思う、それはその時?客の判断としては次点以下である。
漫画へ多く求められるのが、「ってなったら嫌ですね」その、社会的な同意ではある。
バトル物の多くの、基本的な需要ではある、彼らが実際に”その能力で”戦争を始めたら、どれだけ面倒な事に成るか?だ。だから、そう言うのは漫画で「やった事にしてしまう」事で、現実には発露させない。
それを見て、人々は安堵し、その歪んだ可能性を否定し、日常を肯定し、社会はだから、「価値」を維持し続けてきた、訳で。
それを前に、独裁創作それは、自由を求める単なる厄介者の様な…そんな何かではある。
とは言え、そんな自分にも、最後の神判は解らない、二択のどっちが正しい?それは言えないからだ、だから。
最後は、サイコロが握っている。
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