話は、或いは衝動は唐突に始まる。
その日、僕は不意に、メイド喫茶の呼び止めに応じてしまった。
そのまま、誘われる様に奥まったそこに有る喫茶店に入った自分は今、そのメイドから性的な奉仕を受けていた、両手は肌も露わな他のメイドの胸を揉みつつ。
朝からお盛んですね。
ともかく”これ”が「無い」か?というと、正直言うと無いとも言えないのだった。その辺の深夜系飲み屋に行っても、来訪者が相応のカリスマだったら、気づくと店の女性らとの、能動的なそう言う状態が発生していても…或いはおかしくない。
何かの境界線、その先にはまだ、”この”可能性は残っている、訳だが。
これは単純に独裁性、パワー?そう言う物から来る侵略の様な物か略取か?ではある。
この場に居る人々の、何処に否定と言うか拒絶?そう言うのはあるのだろう?ただもちろん?この一歩外に出れば、そこには強姦かそれに比する苦痛、それは、そこに有る。
「売春」その、根本的な否定、その先にある欠落か、或いは、ではあって。物語的には、状況だろうか?瀬戸内寂聴氏や細木数子氏が亡くなった後、その、「今までは肯定さえ有った」そんな現場の、自分はそれに対しては比較、否定的、だがしかし。ここに「問題ない数%」が存在しない、訳でもなく。それを否定する時?或いは悲痛、逆にそれは残る、可能性はある。
一見それは何処にでもある深夜系飲み屋だが、女性従業員は良く客と帰宅していく、とかそう言う。
この時、「女性が否定できるなら違法性は問わない」そう言うオチしかない、けども。抑止として、男性側のそんな過剰な?カリスマを抑止するべきか、それとも、ではある。現在は、行き過ぎている位に、男性側のカリスマ抑止に向けている、が。その是非だ、それはその、現場に発生し得る数パーセントの「問題ない関係」それを遮断していないか?
現実の場合、グレーゾーンはどうしても発生し、そこを抑止出来ない。「売春を否定する」時、この領域には何かの戦争、それは発生する事には、成る。世代の問題だろうか?ともかく昭和の偉人は、この領域と容認有って誕生していて、そして、その結果で悲痛に陥る娼婦、そう言うのが発生する訳だが。
違う視点もある、だろうか。
この領域を主な狩場にしているのが、エロ漫画、という事は有るかも。
逆にここでその衝動は、エロ漫画のネタとして消去されて行く事で、その人は、また出来る、と言うのは、まあ。需要として、問題はそこでこそ個別に解決される、そう言う物なのかも?
大衆は神である。
受ければ良い、のだけど。
使用イメージ
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