あげちうのブロマガ

「面白い」と言う感覚に挑む徒労

「犠牲を出さない」と言う条件がそれだけ難しい、という事か。

それとも、自身の欲望を優先する時、それは犠牲に見えない、という事か。


本日のダイス
白:5,3:8
黒:6,2:8
同値振り直し
白:2,3:5
黒:1,6:7

黒7 1623


ちょっと今、か。創作?物語への要求が異様と言うレベルで高い、感じは、ある。

既に「それは無理だ」とまず言ってしまう様な、そんな条件を通せないと無理、そんな。

まず具体的には、以前に出た話だ、「物語冒頭の被害はやむを得ないが、作中でのモブ死は嫌だ。問題あるお偉いさんとか、既に人間じゃない奴が死ぬのは良いが、犠牲が出て目的を達成しました、ってのは無しで頼む」と言う奴。

この時点で、戦争モノはほぼ描けない?事には、成る。「デビルマン」とか、ああいう作風は言語道断でさえあって、少し古いロボットアニメとか見ていた向きには、何かの疑問か否定、そう言うのはまずあるが。それを超えた先にか壁がまた、有る。

「現実にその物語が具現化しないのなら、要らない」

表現的には「単なるご都合主義なら帰ってくれ」そういう。まず例えば、「経済的に衰退する地へ派遣された主人公は、その地区の人々を纏め上げ、妙案と共にその地区の経済的復興を為し得た!」と言うプロットが、実現不可能だとしたらダメ、ではある。更に言えば、視点ではロボットアニメさえ、”これ”を土台に主観変換され描かれている、という理解で。つまり、敵の襲来が経済的問題、それへ挑むロボット!が、それに対する対案、プロット?な訳だ。苦闘の末に敵を撃ち滅ぼし、世界は平和を手に入れたと、高い技術と労苦で描こうと、そのプロット、プランに無理があるならダメ出しされてしまう。

昔からだ、と言えば、そう。

それでいて、その例えば経済的問題に対して?「ストリードの連携」そういう原理的なネタは使えない、のだ。「そこは描かなくていい」と言う、暗黙の了解の様なモノがここにはある、と言って良いのか。「本当の事」は、物語で描く必要は無い、可能である、という事実さえそこに有ればいい。

難しいか?と言われれば、微妙ではある、普通と言えば、そう。

ただ?今の世間にある創作、特に話題になるそれの物語の多くが、ほぼこの条件を満たせてない訳で。

努力したけど何の成果も得られませんでした、そんなオチばっかりではある。

自分は今、どっちに居る物か?ではある。数日前に考えた「XボンバーR」は、最初の条件を回避する、事を念頭にプロットを修正した訳だが、その後の条件も満たしているか?というと、少し考えてしまう。それでダメ出しされてしまうのか?と思うと、それは選者の趣味でしかないのでは、そんな疑問はそこに重い。

それでも、その場にいるしかないなら何とか合わせていくしかない、そう言う事も考えるそして。

そんな混沌の中で脱落していく先で、それが妖魔的な変質をしていく、それも不意に想像する何かで。

ここから先はもう、「解らない」しか答えのない、そんな領域だろうか。

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