不意にか、気に成っては?来る。
「こちらの想定通りにしてください」
想定外の事はしないで。
”今まで”のスタンスが「良くない」事に成って来ている、そう言う違和感はある。
不意に気づくと数年前あたりから、環境に重い変化はある。
「鬼滅の刃」が歴史を変える様なヒット!を記録し始めたあたりから、か。
ヒット作が出る様に成ってきては、いる。
新型コロナウイルスの隆盛に同期してる感じさえするが、想定としてはつまり、「ウィザードの介入」それが、非常に弱まっている…と言う絵?かもしれない。
今までなら、「なんでそんな」を入れないと、前に出なかった訳だが。
そして”それ”はヒットに通じない。戦犯を求めて環境は荒れる、と言うのが今まで。
現状でのストレス、それは、単純化しつつはある。
「私は?」
他が成功していく中、自分だけが何故か上手く行かない、というそれはでも、今の所は「実力が足らないから」「方法論に問題があるから」等など、返答は出来る。
”ここ”以外は、だ。
そしてここの”それ”に対しては「貴方は王の権威でしょう?」自分で言った、それで安定させるかしている、そう言う絵は、ある。
良い事か否か?は解らない。
把握での状況は、想定通り、だ。
そして、問題は起きていない。
つまりこれ以上、「ウィザード」の介入を許容する必要は無い、訳だが。
ただ、今までのスタンスとしては、常に自分へ疑問を向けつつ、何かを描く、と言うのがパターンだった訳だが。
結局?その「疑問」の部分に、ウィザードが、先生面して入ってくる、という…実はそう言う絵が、少しあった、感じはする。
飯塚幸三氏は、交通事故を起こしてしまって、犠牲者を出してしまった。
この結果、彼の意見を聞く理由、それは失われた、訳だが。
その時、不意に。自分が自身の様を問う相手、「それは居ない」感じは、する。
”この”環境下で、自分以上の正解を持つ(と言う)存在は、もう居ないのだ。
「大衆は神である」それは正義であり事実だ、それに逆らうそれは物理的な問題を抱える事に成る、そしてそれは自己責任だ、如何に理不尽に見えようと、飯塚幸三氏は”自身のミスとして”あの事故を起こしてしまった。道理を伴う因果の果てに、だ。
正義は勝つのだ、ウィザードは自爆して排除された、今後はそれを恐れる必要は無い。
のだろうか?
”こういう感じ”に、ウィザードとその眷属は、些細な介入をし掛ける訳だが。
最終的には、「大賀さん」その神判を仰ぐ、しかし。だんだん、”それ”も許されなくなってきている?気は、する。
勝利した事に対して、疑問を持つ必要は無い。
頭の中だけで有るそれはしかし、強制力、その発露かもしれないが。
状況、”ここ”の意向、それが最優先であり、その妨害や反発、それには重い、物理的でさえ有る否定が始まる事には。
「ここの意向を軽く考えると言う事は、良くない事だ」
問題を解決する上で、実感的には大事な事だ、軽んじられると、動くモノも動かない、損害はただ拡大するだけだ。
想定通りか?
それには、重い疑問はある。
とは言え、新型コロナウイルスの対処に対してはどうも、政府のそれも煮え切らないと言うか、理不尽と言うか、そう言うのを強く感じる、それは事実で。現在はもう、この病気は自己責任が問える状況だ、と言って良い。思想性に反応して重症化する、強奪連鎖、他者からの略取を肯定する所にこの疫病は忍び寄る。意識を変えねばならない、昔の様な、或いはウィザードが見せた幻影、それはもう終わったのだ、「神」の思惑の上で、調整され制御された、そんな物理的な道理の上で、次の時代はある、それを否定するなら、或いは死さえ選択肢である。
ウィザードは今は、もう脅威では無い。
本当の脅威は、もっと別にある。
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