あげちうのブロマガ

古の王が残した後悔と理想への執着

とにもかくにも、「ジャニーズ」と言うブランド、それは消えてしまった訳で。

良い面も悪い面もある、少なくとももう、昭和の威光で護らねば成らない物は、或いはない。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
その道の先に有った物と、そして現状か

 

良くも悪くも、昭和が目指したのは或いは、「なろう系」その帰結、ではある。そして、それを目指す感覚こそが切り捨て、現実的には売春婦、そう言う存在を造っちゃう、それもまた今は言える現実で。結論では、”物理としては否定されている、が。例えば「世界を平和にする」と言うシンプルな願いそれが否定されてる訳じゃない。別のルートはある、単にそれが、昭和の感覚では面白くないだけ、だ。

昭和期は、昭和天皇が我慢し過ぎてしまった?一面ではそんな言い方も、ある。もちろんか、歴々の「王の権威」秦の始皇帝の後継者それもまた、始まりの栄華とその後を否定し過ぎた、そう言う面はあるのかもしれない。要するに、秦の始皇帝の理想を一時的にか具現化するには、後宮に居た女性ら、アレだけの「生贄」それが必要だった、そう言う事、ではある。始皇帝は対価を支払ったつもりかもしれない、が。あれだけいた女性を全て、という訳にはもちろん行かないだろうし、その中には、連れて来られて謁見した、”だけ”で一度も、何の役職もないまま放置された女性、というのも或いは居たかもしれない。その時、その女性は倉庫の米俵と大して差がない訳だ。

この辺、視点の問題で自分には見えない部分はある、そこも断言を言い難い部分だが。「つまり、遊んでていいって事だよね?」始皇帝の女、っていうブランドをキャッシュカードにして、支払いはもちろん始皇帝で。”そんな楽園”をイメージする女性も居れば、「私は一体何の為に?」それに、苦悩する人ももちろんいる、訳だ、中には自殺しちゃってる人も居るのかもしれない。その時、始皇帝にしろその呪いには襲われる訳で、そして統一する後には、「もうあなた要らないんじゃないの?」そんな声が、或いは聞こえてくる。

99%にとっては理想の具現を実感出来たかもしれないが。1%前後それは、人柱に成った、それでしかない。それをでも、昭和期にしろ、肯定し続けてしまった?そう言う面は、多分ある。

ジャニーズも、或いは”そう言うの”を残している、訳で。

その時、「始皇帝から全くお呼びが掛からない後宮の姫」が、どういう意識で居たか?は、ちょっと解らない、幾人も似たような立場が重なってしまうと”声”が特定し得ない、そう言うのはあるかも。ともかく始皇帝は多分その結果で、悪夢に悩まされる、自分の死後の崩壊、それを避ける術は不老不死を手に入れ自身を真なる神にするしかない。結果、最後は水銀を呑んで随分若くに死んでしまった訳だ、そして秦の栄華はその後、数年で崩壊した。

”この”感覚をその後、この椅子に座った人々は否定かし続ける、事にはなる。結果逆に、「資本論」その作者カール・マルクスもそうであるように、「自身を生贄にしてしまう」事には成った、訳で。世界はこの感覚に昭和にしろ依存してしまった。それはでも、ジャニーズの結末の様にか、やっぱり崩壊していく事には成った、訳で。

ジャニー喜多川氏の理想は、あくまでも彼一代のそれではある。

良い王だったか否か、それはまあ、後の話だ。

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