「価値観の相違」それは、どれだけ親しい間でも発生する衝突ではある。
自由意思を大事にするなら、”それ”を相手に強要出来ない、その時戦いはエンドレスだ。
「このページってお金貰ってるんですか?」というと、実際には同じように「カウンタ数値が付かないレベル」なので、発生はしてない。そして今までの経緯もある、カウンタ制御、”それ”が可能な状況があって、そしてそれを打開出来てない。良くも悪くも・・・「利用されてる」感覚はある。「もっとお金がもらえても良い筈だ!」自分にも当然発生する”それ”を不満偏向?し、彼らは自身の「売れない作品」に、お金を要求する。
お金を払わない側は不当だ!(私の作品の)この数値は施政者側によって制御されている!本当はもっと売れているのに!!
「独裁創作は利益にならない」というその話が、微妙に間違っているのもまた、現実ではあるのだろう。
”雅”市場の規約では、「一人の同意で1円」それがそこに発生する。その後、それに対して支払い請求法があり、それに基づいて換金される、が、まずは「幾ら?」ではある・・・これにまずは同意が無ければ話は始まらない訳だが。今までの経緯でも今の実感でも、ここに同意がある、感じは不意にない。
ともかく少なくとも、その作品への価値が一億円を超えた時点で、それは「日本以外の国」それを必然か、考慮せねばならなくなる。その時?アルカディアの話は不意にリアリティを持つ、訳だ。その人がそのシステム上で”利益”を創生出来ないなら、それはその人々を「いらない人々」として排除する絵でしかなく、最終的には国を侵略し潰してしまう、そんな人々にそんな大金も権利も与える必要は無い。反論し難い正論ではあり故に、どうもそれは、安定した定理と化した、感じもある。
ここで作れない人は、作品そのものを否定されてしまう、可能性が強い訳だ。本人にとっては日本に巨万の富を齎す名案!でも、諸外国からしたら自分らの利益を吸い上げられてるだけ、という時、それは敵意の対象でしかない。そういうのは今、不意に否定されている、訳だが。
この場合、抑止する方が強い、正論として正しい、しかし。後者の不満は、「理解できない」感覚は、無視できないくらいに多数派だ、それも現実ではある。民主主義は後者を正義としてしまうかもしれない、その時、そこに対立は起こる。
”これ”に対して強要すべきか否か、”雅”市場的には「自由意思の侵害は犯罪」である、あまり強い態度で出れない、現状はあって、何だかただ提示しただけで、後は相手の自由意思に任せる、そんな現状ではある。
もちろんその結果、自分が「私の作品への評価も利益も不当だ!」その声の出汁にされている、状況に成ったりもする訳だが。自滅を待つしかない、問題はその批判か不当に”ここ”が耐えられるかどうかだ、話は自分にとってはそういう話、だろうか。
意識は不意に、「自分対世界」そんな感覚にも、なる。自身の作った「大賀さん」それの決定に従えない世界から、自分は”戦争”を起こされているのだ。それに耐えられるか、耐えねばならないのか。「大衆は神である」信仰に、不意に疑問?そんな感じもある。
物理にケチをつけてもしょうがないが。
それでも神様に成れば、物理さえ支配している筈ではあって。
その人がそこへ向かう、それは何が理由かではある。