結構深刻な問題なのかもしれない。
「重力波とは何ですか?」
「宇宙」と言う”個”の中で、存在する物質が動く際に発生する波であり、つまり、「物質としては存在しない」と考えた方がまあ、良い。というか、「宇宙その物」が、その重力波に求める粒子、というか。
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一般視点でのそれは、物質が重量を持つ時に、同時に発生する「他を引き付ける力」重力の波の事だが。ただ、相対性理論での話では、”この”波の上下幅が「光速」として定義されている。これは自分の把握だが、上がって、下がる、波の上下がプラスとマイナスを形成する事で、物質はこの世界の存在を獲得している。これは「0」と言う絶対かつ唯一の存在、それに対して存在を確約し得る為の物理ではあり、それと等価、「±0」で無ければ物質は物質としては有り得ない。”それ”はしかし、違う制約も発生させる。
全ての物質は、「等しく」動ける権利を有する、訳で。
というか、宇宙その物が「存在する」事から、”動く”を余儀なくされる訳だ、プラスとマイナスを形成せねばならない時、上下幅は振動と言うかしていないと、存在し得ない。結果、その宇宙に発生する物質もまた、宇宙の影響を受け、振動する訳だ、波を創る。
この時、なら全ての物質は「宇宙」その物から、等しく「動く」パワー?を与えられてしまう。箱を振ればその箱の中身も動く、そういう。それが、基本的には「光速」と言う速度に成る訳だ、物質は最小単位が光速で”振動”して、存在を確約させつつ、重力波、それを周囲に放射している。
アザトースが宇宙その物、重力を形成する”何か”なら、ヨグソトースが光、という感覚だろうか。この双璧2つがあって初めて、宇宙は見る事が出来る様になっている訳で。それを愛し、地球と言う環境を守らんとしているのがノーデンスなら、否定的なのがニャルラトフォテップではある。
ふーん。
いあいあ。
実際には、物理と”こういう話”には結構シンクロがあり、気づくと「解っている」様な、そう言うのは実は有る。「面白い」=「正しい」と言うなら?それは”面白い”を追い掛けるだけで、そこには深淵なる人類の英知が潜んでる訳だ。「解らない」と言うドラゴンを倒すその先には、何かの宝剣が待つ、と言うのはまあ、定番ではある。
とは言え、「正しい」と言うその絵には、「如何なる数値もマイナスを掛けると、それはマイナスに成る」と言う理解もある。一度罪を犯しマイナスを背負ったら?それはもう、その額を加算するしかプラスにする方法は無い。そのマイナスが深ければ、後戻り出来なくなる境目があって、その先に、でも、「マイナスにマイナスを掛けるとプラスに成る」その定理も出来た、のかもしれない訳だ。それはでも、犯罪者が再犯を犯すと、逆に価値が有り自身の過失も消える、そんなイメージに成ってしまうが。
「面白い」だろうか。
ともかく当時の理解は、”それ”を正しいと言う事にはしてしまったのだが。
今の自身の理解、「ue(アンノウンエネルギー、言えば神の気まぐれ)」を掛けると如何なる数値も0に成る、ただ0に対してueが掛かると+1になる、という”設定”もまた、同じ程度の逡巡、その先のご都合主義かもしれない。今もまだ、この辺には答えは出せないでは居る。「大衆は神である」なら、それに必要ならそれは定理と化すのでは、その是非は今も混沌だ。
今もまだ、クトゥルフ神話は何かの輝きを見せている、訳だが。