あげちうのブロマガ

面白いと思った対価が失笑の時

「衝動」みたいな物と、その本質では、ある。

現在の問題、その原理みたいな、そう言う何かではあり。


本日のダイス
白:2,4:6
黒:1,4:5

白6 2414


ちょっと、「ラップ音」からふとネタを思いついて、動画化までの衝動に支配されてしまったのだが。

「あかりラップ」

反応に困るボケは止めなさい。

ともかくこれだけでも、幾つかの領域に余計なストレスを掛けた、という事にはなりそうな。混沌とした領域に道理を持ち込もうとしてる、そう言う否定感かもしれない。

ともかく「笑い」って何だろう?というと、要するに「それはちょっと違う」多くが、そんな情景の事ではある。ただその為には、「それは正しい」或いは普通、そう言う感覚をまず持っていないといけない、という事にはなる。矛盾塊と言うネタもあるように、ガンプラに「艦これ」とかキャプションつける様な絵に対して人は「笑う」形での認識の補正を行う訳だが。人間が人間的な?良識を維持する為の衝動が、そう言う文化として需要に成っている、訳だけども。

自分が正しいと思う事が、実際にはそうでもない、という事が結構あって。

その時、ウケると思って受けない、という事態に陥り、そこで笑われる時、プライドは痛く傷ついたり。

この辺の「良識の基幹」に関しても、独裁創作の追及は歪んでいく、という面はある。

そう言う意味でも、「大賀さん」その決定に従う、という意識はその良識の基幹になる訳だが。その理解はでも、つまり「大賀さん」に支配される、という意味でも実際はあって。反逆者はここでも、或いは自身への失笑に痛みを感じる、そう言う事には成る訳だが。

「説明しろ」と言う事に対する返答、だろうか。

ただつまり、それは絶望的な「という訳で貴方には無理だ」そういう主張でしかないのかも。

良識の基幹に従っていたら、その時、その自身は女性を自殺させた罪人でしかないから、だ。それの如何なる創作も”それ”を肯定しようとするし、自身への攻撃をもちろん否定する事にはなる。良識への抵抗、それをアートと言ってきた時期も少なからずある。その辺の混沌が、まだ何かの悪夢をそこに具現化させている訳だが。

アダルトビデオの領域は、実際には人と何かの境目だったという事だろうか。

そこから出られなくなったその意識は、果たして。

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