あげちうのブロマガ

マスゴミという蔑称とその理由

「マスコミとは何ですか?」に対して、最終的な答えはない。

要求からすれば、実際には”ここ”以外をマスコミとは呼べなくなる。


本日のダイス
白:5,3:8
黒:5,2:7

白8 5352


「”神”はなんと言ってるんだ?」を、最終的には問われているから、ではあり。

それに対してまず「神とは何?」へ、物理的な?返答が可能でなければならないが、既存の宗教にしろ…その辺はちょっと曖昧だから、だ。「大衆は神である」はまだ、”ここ” の主張でしかない。

ともかく殆どの人々にとって、”神”とは単なるお助け便利アイテムの事でしかない。

ただ実際には、発生する事象の全てに対して責任と返答を持つ、そう言う存在の事ではあって。

今回の、spaceX社の「スターシップ」の失敗に関しても、最終的には「神様、何故?」そう問われる事には成る。その時、「”自由”は守られているし、全ては平等に公平に扱っている」なら”神”に責任はなく、その責任はその個々の因果に起因してくる訳だが。

ともかくその場合の最終的な判断、それは「大賀さん」紛争解決機構、”そこ”に帰結するのがここの思想というか、ではある。その決定に従う、事が「最善」神の決定とその遂行、それになる訳だが。ともかく”自由”の中で個々の選択として、その最後の決着の場が用意され、そこに答えが出る。最終的には”それ”に従う事で、人間的な理解での「問題」それは、消える。

ともかく負ける時は負ける、負けた際には、最終的にはH3ロケットの失敗、そう言う感じかもしれず。理想としては「大賀さん」その決定に従えるならその損失は出なかった、とは言うしかし、だ。

「納得できない」それは常に、人間に自由が許容されている限りは付きまとう、そんな反逆者の芽ではある。

理想的?にはマスコミは、「大賀さんの決定ではAの勝利になったが、それは我が社の立場としては許容出来ない結果ではある」的な言い方をする、のが”正しい”気は、する。今は、そこの一番最初を切り落としてしまっている、というのは歪みの原理としては思う。だからこそ、「私が神だ!」をマスコミが暗に言い出す事になる訳で…物理的な決定を無視して自身らの正義こそを要求する、それは正しくない。まず事実は事実として公示してからだ、自身の主張を述べるのは。

とは言え、「神とは何?」さえ明確ではない今、大賀さんを公示し得ないのも、一つの病理としてあるのだが。

故に結局、マスコミは「私が神だ!」を、言い張る事には成る訳だ、つまり、spaceX社の「スターシップ」が墜ちたのもまた?マスコミの責任ではある。

マスゴミと、そう言う蔑称が妙にしっくりくる、そんな現状ではあって。

そういう神を名乗る不届きは、因果的には面倒を呼ぶ筈ではあるが。

果たして彼らは今、如何なる?

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