あげちうのブロマガ

尖った個性の進む先には屍も転ぶ

個人的な正義が、マクロでは社会悪である、という事は時々、有る。

だから、個人の発言力は、あまり強力には成らない方が良い、訳だが。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
巨大娘のけしからん、って言うのは良く解ってるような違うような

 

ともかく色々と、「期待する存在」それが、居ない現在ではある。「その人が黒と言えば白でも黒になる」そう言う個人、だ。もちろん、それは物理的には存在しないのだ、色の認識はその光の波長による、決して主観で決まってる訳じゃない、物理的な話。それを捻じ曲げる、のは数値の改竄に等しく、その先に有るのは改変者、改竄者の死刑を求める呪いではある。

「物理的に間違っている」時、つまりその車は100kmでカーブを曲がれない、訳だ。そのまま谷底に落ちていく時、「出来る筈だ」と言った奴は、その結果に何の責も無いのか?ではある。無理が通っても道理は引っ込まない、過失は負債として、やがて然るべき反動として返ってくる事には。

ともかくそうだとしても、この場合にしろまず、”運転してる奴が自覚せねば成らない”のだが。

独裁的な個人創作の、その危険性の一端ではある。自身の知らず知らずの信仰が、その創作には現れて。そして「技術」は自然と他を圧倒し、相手の発言力を奪ってしまう。「これ、価値があるよね?」「まあ、凄いよね」の時、相手は「・・・でも」を言えないだけ、という事は多々ある。そこを平気な顔で「でもなんかムカつく」と、そう言っちゃう人、というのは実は貴重なのかもしれず。それも結局、自身の増長は疎ましく思い始めて排除してしまう後は、何故か喪失の奈落へと突っ込んでいく事には成る訳だが。

…何事も経験、だろうか?

様々な理由で、そう言う事も強要は出来ない、様な状況ではある。相手の自由意思を奪う、のももちろんか、死刑に相当し得る大罪である。個人の発言力の最大値は、その国の1%までに過ぎない。最大で100人の中の一人として何を言うか?その先の決定は、その100人の合議により決まる訳だが、その時、否定される意見と言うのは、ある。

「大賀さん」を介した議論の先は、”神”の思惑、その先にある結果を目指している。「なんで?」が見えないにしろ、そこを逆らうのは余計な過失を背負う可能性はあって。

・・・まあともかく現状も、「去年はまだ僕ら恋人でしかなかったけど、今年からは」みたいな話にチベットスナギツネに成ってしまう人々も、まだちょっと多い現状は続いている。”そう言うの”まで、今の数値と言うのは反映しているのだろうか?そこは、神のみぞ知る、ではある訳だが。

とは言え、昭和の頃のあの、何の不安も無い?様な感覚は、果たして子供だったから、だろうか。

今もなお、何かの未来が見えない。

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