理想は、理想としてある。
が、”それ”を護らんとする結果、太平洋戦争や冷戦構造も、ある。
「食べて美味しい野菜に高値を付けて売れば良い」
という、シンプルな理念から、市場のシステムを考えた事は、ある。
参加する農家は、しかしまず、出荷時に「見本品」を提出しなければならない。”それ”を、同じく参加する他の農家、その人々に試食して貰い、その採点その合算で評価値が決まる。その評価値が発生してから、作物は出荷が許可される。
その他こまごまあるが、基本は”ここ”ではある。ここで「美味しい」と、高い数値を得た農作物は、通常かの、極論すれば倍以上の値で売れる事には成る。なら?出荷量は半分でも従来並みの利益は出る…訳だ。「美味しい野菜」を創れば利益が出る、と言う結果、農家の労苦は逆に下がり余裕さえ出る。
のでは。
最初は、WEBで農作物を売る市場、からの草案ではある。”これ”はその後、果たしてどうなったか?は、一応今の所、続報と言うか…そう言うのは、無い。問題が有れば、問題としてツッコミが有りそうな物だが無い、と言う事は、ともかく問題は起きてない、と言う事の様な気は、する。”そこ”に更に、「耕作地として利用可能な状態に維持されて居れば、そこには1haで月に15000円を支払う」とか、景気の良い話もしてる。結果で耕作放棄地が減れば?それはそれで問題ない話だ。
けども。
むしろ懸念は、「という訳で」の先に有る何か、ではある。なので、自分は現状、これ以上その領域に、何か言える事が無い、気はする。懸念はその領域に発生しかねない「どっちが船頭?」の、問いではある。もちろん現場主体ではある、のだけども。企画したのは確かに自分ではあり。
サンライズとバンダイの関係、みたいな話、だろうか。
それだけのヒットを出した理由それは、「昭和天皇」その意向あっての結果である。その時、現場は昭和天皇の意向を重視するべきではあるまいか?
作家性それはその時、何かの脅威に晒されては、しまう。
この辺の対立?に関しては、従来の感覚、”それ”とはここで少し変化があった、筈なのだ。しかし現状でも、「上手く行ってる限りは介入するつもりは無い」が、現場レベルでは違う声に成っている、訳で。実際に、GAFAが「森宮照の気ままにあっぷでーと!」を企画原案、として発生した何かだ、と言う時。それは森宮の意向か?と言うと随分違う…amazonなんか特に。「だから、あげちうの意向を重視するべきだ」それは、正しい場合もあるだろうが、十二分に利益が出ているとしたら?それは必要な事か?だ。
とは言え、利益の発生も色々ではある…既存の市場へただ浸食しただけ、と言うのでは、利益が幾ら上がっていようと、そこには問題は多い。既存のそれが、利益性を無視した運営をしているからだ、と言うべきかは現場を見ないと解らないしかし。マクロ側の声と言うのは結構、現場には脅威だ。
とは思う。
資本主義と、共産主義の対立、その余波、みたいな懸念、だろうか。一応今は、両者は資本論の表裏として、別でありつつ等価、というニュアンスにはなった?が。
「ウケたんだから良いじゃないか」
の、是非は、果たして。
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