色々と、「気持ち悪い」話があった、その結果と言うのもあるだろうか。
業界は一つの群体であり内輪を形成している、そこに入るという事は、内輪に入るという事だ。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「え?そんなのふつーでしょ?」とか言う境目は果たして
ちょっと、良い表現が見当たらない。かなり微妙な感触の悪い話、かも。
ともかくそれは男女の問題、だ。男の立場だと、妻に相当する人が「同じゴールを目指す」可能性が結構ある、作家同士の婚姻、とかで問題になる。この時、最終的には両者は殺し合いにまで発展しかねない、「王」その座は一つしかないから、だ。夫の意向を通さんと言う時、妻はその座を脅かす「敵」に成ってしまう。
これを避ける為に両者は意識を持たねば成らない、この際には男は、自分が妻の奴隷になるべきで、妻も夫の奴隷になるべきだ、という帰結。具体的には夫の作品は最終的には妻の意向が優先されていて、妻の作品は夫の意向が最後の神判である訳だ。ともかくそんな感じでバランスを取ったら、その衝突は回避できるのでは有るまいか?
”これ”は今まで無かったのか?というと、「普通」の事の様な気もするし、違う様な気も、する。ともかくこの時、妻は自身が排斥される懸念が薄れる事には成る、夫もだ。50%同士での衝突は、何処かで妥協が必要に。相手を必要と思うなら、自身の我意は半分は抑制せねば成らない、訳だが。その時、相手は自分が王でありつつ相手が不要と言う理解には成らない、筈では、ある?ともかく両者、自身の領域で自身の意向を通す上では常に、”相手”の機嫌は取っていないと不味い、訳だ。良くも悪くも、”敵”との良い関係の構築は、両者の生存を確約する。
この辺を、今の「内輪に入れない」問題に適用する事で何かの打開はある、だろうか?
「新規参入が認められない」というのが今の、結構深刻な、話かもしれない。通常のままでは効率化の末に雇用可能人員が減ってしまっていて、その有力者が内輪を護らんとするとどうしても、業界は閉鎖的になる。打開として求められるのが「雇用を維持しつつの利益の拡大」ではある訳だがその為には、その方法論を持つかの新規参入が必要になる。しかし、それが可能に成っても?懸念は「今までのモノは要らない」になる、場合が有りえる。古い10人を切って新しい20人を雇う、それの是非だ。古参が対応できない時、そこに切り捨ては出る。
というそこに、少し夫と妻の妥協点、みたいなのは、適用しうるのでは?
「妻は夫の奴隷であるべきだが、夫は妻の奴隷であるべきだ」を、この状況に適用する。新規参入が夫側、とはする。古参の業界に結論で改善?を求める時、逆に自身も古参の意向は否定できない、という訳だ。ともかく「業界」と言う一つの内輪に入らねば成らない。その時の、意識の持ちよう、みたいな?
「新しい方法論」それは、硬直化した状態には打開の為に必要ではあるが、その時、もちろんかその新しい方法論での結果には、古参の意向は最優先される事にはなる、というか?
やっぱり、「どっちが上か?」みたいなのはまだ、そこにはある。古い感覚、支配の「正常」安定、というそれは、男女間にも「どっちが上か?」を要求して、いくつもの関係を壊してきた、というのは有るのかもしれない。新しい方法論じゃないと利益性の確保が出来ない、雇用の増大は有りえない、時。それはそれで、古参側にも譲歩は必要に成る。そのままならただ古いモノは排除されていくだけ、だが。新規はその時、立場は弁えねば成らない、事には。
これは、或いは結果論でしかない、のだろうか?
意識が少し変わると、状況も少しは変わったり、する?