あげちうのブロマガ

成功者の成功例ほど当てに成らないモノは無い

利益を考えた場合、単純に作家は「傍観者である」その方が、お金には成るのだ。

テレビゲームの様に、”向こう”に対して出来る事は、十字スティックとボタン数個、である。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力、翻訳して出力

最近このタイプの女性しか出てこないのは、何かの変化の結果なのだろうか?

 

「道理」の視点から言えば、テレビゲームは「勝っても負けても意味がある」そう言う感じに作る、事には成る。しかし、その上で「嘘は描くべきではない」という制約もある。ガンダムにも通じてくる訳だが、「基本的に無理です」「でも、出来たら価値はある事です」と、言う条件を呑みつつ全体は構成する事に成る、訳だが。それでいて「漫画だから」現実には直接は無関係な話だ、と。その上で意味は?という問いに返答を、最後の、或いは2ケタを超える万の投入をした人には、言わねば成らない訳で。

その時、その人々が納得し得る返答は必要だ、しかし。

”実感”があるかどうか?は、結構面倒な境目ではあるのだろう。

自分の状況が少し変化している結果か、認識が混沌としている状況はまあ、ある。「成功体験が無い」人々に、その技術で?作品を創って貰わねば成らない、時。相手の「失敗しました」あの時は4ケタ万円位の損害が出ました、みたいな話に「次は大丈夫」みたいな事を言って先を描いてもらおう、みたいな話にはなる訳で。その上で説明が届かない部分はある、体感論ではまず「独裁創作は売れない」「オーダーにも良し悪しがあり、悪いオーダーではどんな頑張っても無理」その辺は、ちょっと深刻になる問題ではある。

現場の納得が無い、訳だ、色々と。物理的な失敗と否定の後は、委縮もある。

そして失敗例がある時、オーダーそれは、ある意味で恐怖の対象でしかない、のかも。

理解は勝手な妄想だろうか。現場の創作的な技術者の多くが委縮してしまっていて、勝手には動けなくなっていて。上の人間さえも”それ”が無い中では、現場を納得させる事が出来てない、とか。

自分の理解か何かとしては。一応、「面白い、しかし技術が足らない、俺の方が上手い」という理解を現場に持たせちゃったら後は勝手に出来ていく、困ったらちょっと補正してやればいい、みたいなのが今の理解ではある。

なんかいっぱしの社長みたいな事を言ってますけど。

ともかく、そう言う意味では創作会社なら外部から、「問題ない」と思われる企画を得たら。”社長が”まず具体例の先鞭をつける…というのは、大きいのだろう。スタートとゴールを設定し、盛り上がるイメージを描ければ後は、現場は”それ”を追い掛けてくれる、その結果がユーザーにも届く…筈ではある。社長の立場で無ければ、当たる当たらないは見えない、みたいな部分はあるそれを。現場に任せてもどうなのか?それはまあ、言えない事も無い。

しかし、数兆円の損害を、理不尽な災害と人的損失を前にしても変わらない状況、ではあるので。出来る範囲で、というのはあるだろうか。

議題が対立している、そんな感じはある。それでもまずは現場から、ではあろうか。

所で、自分の現場は何処なのか?は、相変わらずの話。

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