すいません、頭悪かったです。
と、「民主主義が」そう言うか否か?と言う、状況としては”そんな部分”も有る。
思想と思想の衝突?と言うニュアンスには成っている。民主主義は、結局は一夫一婦絶対論、最大多数派だからだ、そこに陥る訳だが、そこに問題が残ってる。
「白と黒のサイコロ、どっちが男?」或いは。
自分は自分の事を「白だ」と認識してるのに「お前は黒です」と、そう言われるのはストレスである。とは言え?相手の方もそれは同じで、主観として是非を問われる時、どっちにしろ何処かで「私は善だがお前は悪だ」そう言う判断をされる事には、成る。そこで、夫婦は他者に理解出来ない感覚で、破綻してしまう訳で。
一応この時?「二つの等価なサイコロ」その視点では、この破綻は起きない。二人を「同じ意見」として見て、その上での衝突?という事に成る。どっちが黒?と言う理解は”ここ”では起きない。「性別の混乱」は少し発生するが、例外条件、「女性と女性の場合は?」とか、”その”介入が、断定の様なモノを破壊はしてしまう。安定するのは「二つの等価なサイコロ」そこだけだ。
白と黒のサイコロが、民主主義であり、二つの等価なサイコロ、それは紛争解決機構、その信仰ではある。
その結果だけ見るなら?民主主義は、「大賀さん」その判断の前に屈せねばならない訳だ、自身の判断は、紛争解決機構よりも正しくない、その。
その時、民主主義?その絵的には、「紛争解決機構」それが夫、民主主義の判断、それは妻、という絵には、成る。
「間違い」と言う、その様かもしれない。今まで、民主主義を最上位にして来た時、この感覚が逆だった、と言う言い方には成るだろうか。今まで、紛争解決機構の結果、”それ”はあくまでも忠言に過ぎなかった。日本では平成に入って「昭和天皇」その枷が消えた事から、状況は極端に悪化していく。その結果、状況に責任は問われ、現在の問題になる。
民主主義の結果より、「大賀さん」紛争解決機構の判断、その方が”上”である。
それは倫理と言うか、「良識」と言うかそれも、「妻は夫に従うべき」そこには帰結していく。
不満は残っている。
ともかく?「夫は妻の、家族の願いを叶える為に働いているし、働くべきだ。故に妻は、家族は、その家長を尊重し、支えねばならない」そう言う良識へと、帰結はする。
結果的には、民主主義は、責任の問題としても「同意せねばならない」訳だが。
今迄の様な、物理を無視した様な感情論での行動、それは許されなくなる、訳だ。
ここまでの過失を積み重ねねば、解らなかった話か?と、そこは疑問には成る。とは言え、「民主主義」責任は”そこ”に集中していく、それも視野範囲では…現実ではあり。
「こちら」の言う事には従って頂く。
”ここ”が「神様」だ。
初音ミクの前で、弱音ハクが彼女を窘めてる光景、そう見るか否か、ではある。
初音ミクの方が、先には誕生したのだが。
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