ちょっとした疑問と、問いではある。
PR動画が?二つあって。
これ(A)と、
これ(B)。
ともかく感覚で「何故か採用枠は一つしかない」、という事態を前に、AとB、どっち?と言う問い。共に或いは目指す事は同じでも、そこには実際は、差がある。
ここに有る「最後の差」が、その「白と黒のサイコロ」か、「二つの等価なサイコロ」か?ではあって。
かなり主観だ、Bの方は、”作者的には”洒落で流れても問題は無い、しかし、それを支持者が納得しない、という混沌が重くある。
理解?としては、Bは状況を、現状のまま改善しよう、そう言う方向性だが、Aは何かを根本的に変えよう、そう言う感覚ではある。
それが結局は、民主主義を最優先にするか、それとも、ではあり。
納得は、無い。
”ここ”としては断言し得る感覚だ。「現状のままで先は無い」何かの根本的な改善が必要だ、が。その時?それまでのシステムで採用された人々は、立場に疑問は出てくる。それまでの恩義?その他もそのまま残った上で、問題のある体制か前任者を糾弾し、排除し得るか?と言うとそこには重い否定感がある。
個人的には、優先はA、しかし、多数決的にはB、そしてBだとちょっと先が無い、妙な何か。
Aの方は、自分も創ってる時に?か、些細な疑問?否定、そう言うのは感じていたのだけど。
それは今も、具体的に何なのか?は、ちょっと良く解ってない。
ともかくAの方は、Bにとってのタブーに踏み込んでいる、気はする。「そこは否定しちゃいけない」部分を”平然と否定してる”訳だ。この嘘予告祭が企画されたのも、Aへのアンチテーゼかカウンター的な…実際には、そう言う感じかもしれない。
理解ではこの二つは、結論では戦争に成らない、両方とも下げてしまうから、だが。作者の一存だけで決まる話?と言うとそこには、疑問は少しある。何にせよ、「表側」で活躍するには既存の体制に認められるか、それとも破壊し刷新する、しかない。今まで通りは「増えない」、切り捨ては発生する、それを隠して続ける事は出来ない、が。
Bの方は、その上で打開を目指した?訳だ、まだ、不可能と決まった訳でもない、のかも?
今までは、飯塚幸三氏を犯罪者扱いする事は、自身の終わりをも意味した。
そこは変わったとしても、何かの問題は残っている。