「テレビ」それを中心にした時代の残り香というべきか。
それともそれは、残してきた負債の一部、そういう物だろうか。
軽スポーツ大会、みたいなのを考える、時に。
「ちょっとわちゃわちゃした感じがあった方が”面白い”のでは」
この感覚の是非ではある。実際には、割とテレビ、それを見てる際の”それ”なのかもしれない。
テレビは、基本全国区、ではある。しかし?スポーツ大会、みたいなのはあくまでもその地区限定、なのだ。意識する相手は最大でも数万人、実際にプレイする可能性は100人にも満たない?もちろん中継なんかない、というそれに対して「適当」それは?というと、その「テレビで知ってる感じ」それは必要か?ではある。
通常、”普通”は、チーム分けした後は、最初に構築されてる対戦表に基づいて粛々とプレイを進める、訳だが。
「面白い」か?というと、この感覚では疑問にはなる、単に流れ作業か義務を遂行してるだけ感。
一応、対抗なのだから?ある程度は「選択」次はどこを?みたいなのを選べる可能性は無いのだろうか?という事を少し考える結果、「次の対戦は入札で」みたいな事をちょっと考えは、した。
内容は、4つかの室内ゲームが出来る環境で。チームは乱数で別れる。10チーム以上居るが、時間の関係もあり結果1チーム、4種のゲームを1つずつ行ってもらう。一度やったゲームは次以降は出来ないが?次の試合枠は「早い者勝ちで」選べる。一つのゲームが終わり、チームのリーダーが係員の前に集まりわちゃわちゃとやりつつ、そこで次の対戦相手は決まって帰ってくる、そこには要求した選択の結果がある、とかそういう感じで。
一応マクロでの「流れ」に介入できた方が面白いのでは、とは思ったのだけども。
ある程度”覚悟”のあるスタッフならともかく、そうじゃない人々にこの騒乱への対処を求めるべき?
ともかくこの話?は結論で、「最初から対戦表はスタッフが作っておく」事には成る訳だが。
この、「自身の企画が意図も含め通らない」というそれに、自分自身かなり納得をしてる部分は有るのだが、意識の中で騒乱がある…それもまた、なんとなく懸念ではある。個人の意向それは50%も通らない、基本自分の意識はちょっとマクロすぎる所にあって”普通”には合わせにくい。・・・じゃあこれは本職?が覚悟してやったら面白いのか?ではある訳で、それでちょっと書いてみる話だったりはする…社内でのレクレーション?ラウンドワンかなんかでの、幾つかのスポーツを梯子する様な大会で、ちょっと検討されても良いのかもしれないが…まあ、ちょっと解らない。
・・・普通にやったら?
色々と、どうも個人的に、問題を抱えてる気は、する。