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あげちうのブロマガ

金に成らない高品質の行方

「結果出せなきゃダメだよねぇ」に高学歴がファビョる、という物言いが不味いのだが。

だが結果が出なければ生活もままならない、という現実は今、ちょっと深刻だったりもする訳で。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「お金には成ってるよ?」エッチな世界ではこうなんか、嫌な絵ではある

 

自分の視点での状況把握は、少し偏っている部分はまあ、ある。

世界を襲った洪水の末に、救難艇で逃げ延びた人々は漸くか、安息の島に辿りついて上陸した。幸いと言うべきか、島の環境は生存に適しており、船で逃げ延びた人々の全てが生存するには不足ない環境だった。しかし上陸したは良いモノの、一部の人々が「ここに居たらまた、津波に飲み込まれる!」と、島での生活を拒絶し始める。船の燃料だって既に心もとないのだが、彼らはそうして乗客の多くを味方にして、島は騒然とし始めた。

なんでやねん?

想定するシチュエーションが、旧約聖書の「ノアの箱舟」をモチーフにしている為にリアリティがない、事もまあ問題の一つ、かもしれないともかく。この例の中で暴れ出す人々、というのがどうも「高学歴の人々」では、ある。箱舟を創ったのも、災害の予測をしていたのも彼等ではない、から…”それ”は多分大きい。彼らはむしろ破滅の日まで、「何の問題もない」そう言い張り続けた人々でさえある。何故か?「テキストに書いてないから」だ。

そしてしかしこの時、彼らが「自分らは何の実績も上げていない」やったのはリストラだけ、という自覚が出来ない程に馬鹿ではない、のも面倒を加速させる一因、というのは有りえる。

道理と言うか現実的に、大学、という権威を否定するのは”その市場の否定”でもあって、ちょっと深刻さはある。世界は「学は必要である」と言う正論の元に学歴に深刻な権威性を設定しており、その否定は深刻な喪失と共にはある訳で(これ以上、大学の経営難が増えるのも問題はある)。その結果、学歴に非常に重い信頼?を載せている訳だがしかし、結果論で平成の不景気に対して学歴が出来た事はリストラと、”それ”からの回避、くらいでしかない(多分)。

前にも書いたが「前例がない」教科書に書いてないのだ、”その”事態に対して、学歴は無意味だ。

当然ここには面倒な状況はある、「事態を打開出来なかった」それは彼らの責任か?だ。状況を「問題ない」と言い続けたのは過失かも知れないが、それを判断出来ずに従っていた、のも世間一般の現実ではある。状況的にはともかくリセットし、島での新しい生活、というのを模索せねば成らない…のだがしかし。前例やテキストが無い中で、彼らは更なる無能さをさらけ出す、という様な悪夢はまあ、ある。

学歴は無意味だ、という事に成ってはならない、のだが。

という彼らを、状況はどうしても糾弾し始める時、そこに問題ある「切り捨て」そう言う絵は出る様な。

学歴を持ちつつもプライドを捨てられる人、というのは実際「自分の実務能力に誇りさえあるから」ではあり、有能、という具現的な様ではあるのだがそう言う人は今、もちろん希少、ではある。また、問題提起だけして後は投げっぱなし、というのも問題がある訳だが。ともかく学歴を持ちつつ成果を出せてない人、といううのは深刻な「無能感」の中には或いは居る訳だ、その時、そこには悪魔が肩を叩いてくる事には。中華思想の皇帝、自身の身近に居る弱者を糾弾して事態を打開せんとしてしまう衝動、その、或いは始まりにさえなりかねない、いや”それ”がその原因かもしれず。しかし、なんと言って良いか。

「結果の出ない学歴に、意味って無いからね?」

これは火に油を注いでいるのか、それともではある。

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