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あげちうのブロマガ

その前にある坂と言う無理

「介護士などへの報酬を引き上げる」事が、まあ最優先事項、という事には成るのだろうか。

ただその時、その職務は専門性を高めるので、一般人は手を出さない、方が良いって事には成る。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

自称異星人って異星の言葉をしゃべらないよね、って会話の後の

 

色々私事においても車椅子の扱いをちょっと考える事には成る、介助するのは当然か或いは?だ。ネットの意見でも、それを抱えての乗り降りは危険を伴い、或いは専門のスキルが必要だというのが有って。万が一の際には誰が?という視点で言っても、それは十分なスキルが無いなら余計な事はしない方が良い、というのはまあ、正論。

しかし、そこに居る人々に介助が要請できる場合はある訳だし、出来ればもちろんその方が良い。

が、その結果としての素人介助による事故の発生、そして対策、ではある訳で。現実問題として介護が必要な時、目の前にあるのが50㎏を超える”損壊の危険がある”重量物だ、という現実は深刻に重い。その運搬その他には深刻な危険が伴い、その際の事故においても損害は高額、というかになる。そしてその結果として発生した問題ある事例を踏まえて、今の状況がある。

話題に成った例では、「映画館への車椅子での来店その是非」には成る訳だが。ぶっちゃけ、車椅子に対するバリアフリー対策は、深刻に面倒でコストもかかる。出来れば傾斜5度くらいのスロープが館内全てに必要、そんな対策をしている映画館或いは商業施設なんて多くも無いのでは有るまいか、物理的に困難、という立地条件もある。そう言う対策がない館内での車椅子での移動は、介助者が居ない限りはかなり限定される、危険な領域である、訳で。要介護の人々は「そう言う場所に行こうとしている」自覚は大事なのでは。

また、逆に言えばお金の問題ではある、施設側が専用かの雑用スタッフを雇えれば?それで済む問題ではある訳だが。それが難しい位に、ちょっと今の世相は儲かってる雰囲気の無い、そんな環境ではあるのだった。

「無理」は、要求する方が悪ではあって。要介護の人々も、その時は平等な視点にはあるのかも。無理を超えるには相応のコストか、或いは「諦める」それは要求する事には成る、そこは一般人と大差ない訳だが。

要介護にもランクがある、1が松葉杖くらい、5が寝たきりではある。今の理解では本来、5の人は外に出れない、のだが。感覚ではそれが外で自由に活動できない、事に対して問題視している、感じでさえある。極論で考える様になっちゃうのだけど、その辺の人々はもう、ある程度諦めて貰うしかない、のでは。

これは何かの深刻な「わがまま」が、何処かで暴れている…そう言う感じなのだろうか。

世間もまた、”それ”への何かの依存の末に、奇妙な脆弱を抱えている、そう言う事かもしれない。

重症な車椅子利用者が外で活動するには、専属の介助者が不可欠ではある。

それを用意出来ないのなら、その先はもう、道は無い。

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