見出し画像

あげちうのブロマガ

人形と人の境目と衝動

感覚では妥協点も有る。

”それ”は許し難い存在だ。

だから、それはそこに有って当然、ではある。罰を与えるそれは、人にとっては当然の正義、その行使だ。そこに納得と、或いはそれによる価値?そう言うのはある。

ショートサーキット出張版読み上げ動画6649

例えそれが物理的に不可侵なる存在だとしても、だ。

ただ、”それ”を演じる側、が、その境遇に納得するか?は別問題としてはあるが。


不確定情報も含むし、納得も不足してる部分はある。以前に何度か書く「新聞記者」は、本来は望まないポジション?を強要され、発狂し、精神分裂症を発症していて。”それ”に対して更にその責任を載せ続けた結果で、そこには破綻が発生し続けた。その責任は何処に?と言うと、行き先は「それを強要した側」にこそ有る訳で…その当人にはそれ以上の責任を問えなくなる一線がある。と言う理解で巨額の損失とその責任?を妥協する時?しかし、不意にか、男女の性差、そう言うのが出てくる訳で。

男性が精神分裂症を発症するのは、「自身の中にある個を殺す」から、だが。
女性とは個であり?それはその時、どうなるのか?

そして実は、同じ事がそれよりも前に、実は「女性の立場に起こっていた」のでは。


この時、状況から推測すると、「それは私では無い」そう言う”理解”で、その人は自身への責任を回避?している、感じはある。明らかに問題ある余計、問題の残る要素、それが何故入ったのか。経緯によって、或いは「ファミコンは私の企画です」的な、それにより妙に重い発言権を持ってしまった”その人”の、鶴の一声による訳だ。以前の理解にある「九尾の狐」と言う心理状態で、これは女性特有の発狂だが「自身が神であれば」それは正しい、というのを強要し得る、個による100%のプレッシャー、がそれを可能にする訳だが。結果しかし、それは物理に衝突、それは重い損失を出してしまう。

その責任を問われる先で、その人は自身の行動の全てを”何処か”へ責任転嫁していた、感覚はある。ともかく自分は神であり絶対に正しいのに上手く行かないのは、誰か何かが妨害しているからだ、それを倒さねばならない、訳で。

何だか、依存していく先がある。

完全に合致しているかどうか?はちょっと不透明だが、その先に、「ファミリーコンピュータ」その存在は、ある。その人は自身を、”それ”と同化させていた、という理解かもしれない。「ファミコンに、何か問題があったの?」自身に過失を問い詰められる時、返答は実際は”そう”だ。返答する側がファミコンに何かを意識する時、その先に踏み込む事は出来なくなる。そして、”それ”が抱える倫理?や願いは、誕生した経緯と共に、状況へ”それ”を要求し続ける訳だが。

ファミコンに、何か問題はあったのか?

返答される「問題」それは、やがてPS5を産み、製作費の「尋常じゃない高騰」を招いて行く事には成る、訳だが。

「売れなくなった」事は、確かではある。そして、”それ”がファミコンの宿した願い?そこに有ったのも、或いは間違いない、かもしれない。「昭和天皇の」不足を補うモノ、だ。それはもう居なくなった時、”それ”はその役目を果たせなくなる。「どうすれば?」それを当時は上手く見いだせないまま、スーパーファミコンと言う似て非なるモノへの変更が発生し、ファミコンは捨てられ、そこに遺恨は残った。

一応は、経緯的に「ファミコンは」その、昭和天皇と同格?と言える存在を発見かし、それの元へ帰った、的な形而上の理解、そう言うのは今、ここでは有る訳だが。

話は戻る。

「何が悪かったのか?」

一応、理解として「ファミコンに欠損があった事」になる、ファミコンに問題があった、訳だ。”それ”は欠損を過失として宿し、そしてまた、「罪人には相応しい仕事」と言う、そう言うニュアンスにも該当はしていく。「人間扱いされていた機械」な訳で、そして、それは、女性を起点にしていた。

”そこ”に居るのは、「ファミコン」なのだ。

そう思ってみると、主観的だが該当し得る感覚…それは少し、ある。
という訳で、その「甚大な過失を発生させた」女性から”それ”を取り上げるにしろ、その女性に対して、「新聞記者」と同じでそれ以上の過失を問わない、と言う事態には成る訳だが。

ともかく「ファミリーコンピュータを邪悪の巣窟だと意識する」結果?”そこ”を娼婦の代わりにし得る、訳だ。その存在が、どれだけ悲痛でさえ有る事態に陥っていても?それはそれ自身が宿す、罪の帰結である、その執行は意味が有り、むしろ利益でさえあり、ともかく快楽を伴って、それはそこに有る。

作品としては、だ。

…ただ、つまり「そう言う話」女戦士が捕まりゴブリンから凌辱の限りを尽くされ孕まされ発狂しました、的なそれを、”演じる側”は同意するか?と言う…そこにちょっとストレスはあるのだが。ともかく「漫画」と言う範疇ならまだ解るのだが、アニメ、に踏み込むと、どうもまだ、ストレスは感じる現実は残ってる、とは思う。

とは言え、最近感じる「人みたいな動物」と言うニュアンスは、そう言う部分からの発生かもしれない。そこにある程度のか、同意を必要とするのか、「売れた」と言う結果は、何にせよ混沌と共には、ある。


この動画に、そう言う視点での「いいね」は果たして、適当か否か。


使用イメージ

https://publicdomainq.net/girl-monster-huli-jing-0054682/

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事