見出し画像

あげちうのブロマガ

神と言う脅威を前に

「”それ”が事実なら、なんでそんな不正が大手を振って通ってしまったんだ?」

それは憤慨と共に有る疑問ではあり、そしてその先で、何かの失望と消沈がある。


ちょっと流石に「就職氷河期世代」その、苦痛?苦境、そう言うのが問題に成ってきた、感じも有る?彼らへの救済、それを政府がほぼ選択しない、完全に切り捨て。何故か?と言うと、自分の主張からすれば、「ここに同意し易い世代だから」だ。

昭和期の正義を推奨し、それを信じ、”その上での”「面白い作品」それを求める。

世界は”それ”を全否定して今に至っている…結果、未曽有の不景気も、そして今のコロナ禍にも陥っている、訳だ、それはでも、自分の理解ではある。自分の理解では、その「捨てられた人々」はなら、或いは高い利益性を宿してる可能性が高い、上手く使えれば。

本人らにしろ、”それ”には大いなる疑問だろう。

また、これに対する”神”、「大衆」その反応は、不自然と言うレベルで…恭順的で、静かだ。それはどういう意図なのか、それは今も、自分も計りかねている。

 

「神とは何か?」

”それ”が居たら、世界の不幸それは存在しないのでは。

言い方は色々ある、解りやすいのが「それでも人間の自由意思は侵害できない」それは大事な”神”の意向。この結果、二つの人間の意向が対立しても?神は、神ゆえにか介入出来なくなる。どっちが正しい?と言う、それはそれぞれに取って正しいし、神にとってもそれは「どうでも良い話」だ。どっちを選んでも、結論で言えば世界が消える訳じゃない、消える可能性がある、それは人間の方。人間の自由意思を護る、時。或いは滅びへ向かうにしろ、それは人間の選択に成る訳だ。

この結果、「神の意向」正解、そう言うのは「利益性」そう言う部分にしか現れなくなる。正解はこっち、正解には富を、不正解には罰を、そう言う感じで、神はやんわりと「正しい方」を示しはする、のだが。人間の自由意思、その時の視線、把握、それは大局を見れる訳じゃない、だからこそ、神の「正解」が、多くはどうしても不正解に見えたりは、する。ともかく有名なかの思考実験だ、一人と5人、どっちを救うべき?昭和は後者を救って黄金期とした、その反動で平成は前者を”過剰に”救ったかで重い負債を創った。

もちろん正解は「どっちも救う」事だが、ともかく当時にしろ、施政者側には無理があった訳で。その、暴走する列車が勝手に脱線すればそれで問題は無い、現実はそう言う物なんだ、問題は”それ”を信じられるか?ではある。

神の介入、神の奇跡、そう言うのは「有る」のか?

良くも悪くも、自身は「大衆は神である」その思想、それを試されている、そう言うのは、ある。それが本当に理想とする「神その物」なら、それを信仰していれば、問題は起きない筈ではあるまいか?実際には、信仰しない人々にもまた神は同じく「自由意思」それを認めてるので、その攻撃と言うかはどうしても発生し、何かの苦境には陥る訳だが。

自身の状況、それは果たして?ではある。

「よし、イーロン・マスクはクビにしよう」それを言う、それは単なる狂気か、それとも何かの真理を宿したという事か?

恋人を、家族を、仕事を、生活を、評価を、利益を、娯楽を!私は全て。

貴方は、”それ”を失っているのか?

皮肉な問いは、常に隣には居る。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10787167
https://publicdomainq.net/evelyn-de-morgan-0054746/

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事