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あげちうのブロマガ

迷惑でしかない信念の行方

そこは、盲点に近い部分かもしれない。

「犠牲が出る」時点で、そのシステム、その意向それは欠陥品扱いになる。

欠陥品では、買い手が付かないのだ。
”それ”が如何に、何かの偉業を成した?としても、だ。

そう言う感じに、今の「創作」それは、クオリティを要求されてしまう現実がある。

リアルか?と言うと、「漫画だから」それは、万全かの返答だが。

逆に言えば「リアルでは無い」が故に、現実へのフィードバックには不足が出る訳だ。当然だが、「描いた内容は現実に成らない」それを含んだ上で、それは価値を計る、と言うのが今の考え方、しかし。

ともかく、現実は淫魔地獄では、無い。植物みたいに、その構造その物が存在しない、という世界では、無い。

男性は女性を害する事が出来るし、女性も或いは、”それ”を適当にか許容している、それが現実。

特に「独裁創作」それが顕著な部分はある、が。

実際には、”これ”で利益は発生しない。それを発生?させる為には、誰かが無理矢理それを支払わねばならない。その時、「損をした」程度の感覚で済めばいい、過剰になると明らかに、「このままでは生活できない」位に、財産その他を搾取される事に。

現状、システムが、”それ”をかなり抑止してしまっていて…そのシステムに従う限りは、売春を必要とはしない、筈だがしかし。「今まで」なら、ともかく昭和期ならそんな事は無かった、のだ。一つの達成は、現実の変化としてカタルシスに呑まれた、その際にどれだけの人が犠牲に成ったか?は、後々にしろ語られない。

”それ”を目指すなら?「誰か」は犠牲にならねばならない、のだ。

そう言うのを目指すなら、娼婦、それは必要な存在である…或いは自身であろうと。

あの「ジョジョの奇妙な冒険」で、DIOが人間を喰っているが、あれで「自分から進んで身を捧げている女性らが居る」という描写がある…あの”現実”の一面、その是非。

彼女らは別に、自由意思を侵害されてのそれじゃないのだ。

自身らの目指すかの世界、”それ”を創る上で「自分に出来る事をしてるだけ」だ。

「現実」と言う物理の制約の中で、”それ”もまた、一つの現実としてはあり。

自由意思を優先する限り、”それ”を過剰にか抑止は出来ない。

あの「対魔忍ユキカゼ」と言う問題作?の、根幹かにある何かかもしれない。作品は、「主人公?に対して或いは説得を試みている」が、それは致命的な事態に成ろうと”それ”に対して同意しない。「売春婦は必要である」そんな、何かの、常人には理解し難い「断言」と共に、あのキャラはあって…自身の主観としては、奈落の底で、瘴気を漂わせ続けている。キャラクタが、何処かで否定をすれば”それ”で終わる何かは今も、「これで良い」その声と共に、そこに残っている?

 

気には成る。

”その先”に、彼女らは、何を見ているのだろう?


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im7748725
https://publicdomainq.net/paul-nash-0040937/

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