屁理屈の様な気も、する。
人は、「神様には成れる」が「神には成れない」。
ともかく現状、「私は神だ」を言う存在に対して対抗する上で、前任の「ユダヤ教の王」それがしていた事、それは少しの参考には…成った、のかもしれない。
この方向性での”神様”を名乗る時、相手は、求めていたかの「特別性」を失う、のだ。
私も神様ですが。
結果、相手は、何かの権力?を喪失する。
”同じ神様”なら人々は、「自分に有利な方を選べる」から、だ。
只の人と神様なら?前者を選ぶ理由はほぼ無いが。
その時?その「私は神だ」それを信仰する理由、それは無い。
ただ結果、”ここ”も、否定していたかの「神様」それを…この状況で名乗る事には、成る。
「返答する存在」だ。ともかく推測では、「黄昏の狩人」その、インターネットの下敷きにさえ成った”何か”の作者であり…責任はある、それはそのまま「神様」その役目、には成る訳だが。
目的は?
それを考えた時、同じく、状況は”それ”に最善の場所には有る…訳だが。
理屈だ、その「信仰」その範囲での、「最下層」問題が集中する所?”そこ”に「最良」最強、それを配置するべきではある。”それ”による打開が、その環境を改善する。その時、環境は安定して維持される、最強、最善、それなら?その場でも何とかなる、筈ではある。
ええ・・?(;´Д`)
オリンピック開幕中、と言うのも、どうも状況には悪く作用している気もする。彼らが何故にあの身体能力を維持していられるのか?だ、彼らは日々、何をしているのか。暴飲暴食、遊び歩き自堕落に寝てる様なそこに、あの能力は無い。自身を追い込み、効果的に身体を痛めつける先に、栄光の表彰台、それは有る訳で。
ええ・・・・?(;´Д`) (゜_゜)
日々、危機感を伴う緊張感を持つ事が、”その”精度を維持し続ける事には繋がる。古い栄光に縋っていても能力を失って居たら、あまり意味は無い。必要なのは何か?その時、それは何処にいるべきか。
ええ・・・・・・?(;´Д`) (´・ω・`)(゜_゜)
ともかく理屈の上ではそうだが、状況を打開出来ているか?と言うと、それは随分と違う絵として、目の前には有る訳だが。
「当り前」に成ってしまうと、”それ”が有る事は、大したメリット?には成らない感じもある。異世界理論、ストリードの連携、そう言うのが「理解されて行く」のは良い事だ、とは思うしかし。目指していた一つではある、「文字を使う事に使用料は発生するのか?」誰かに許可を受ける必要は有るのか。その、文字を創った人は、その実際には至宝を創った事を今は、或いは当時さえ、誰にも評価されずにある訳だ。そう言うのを創った上で、その先を目指さん。しかしそこに理解では、ちょっと残る物は有り、それはその現状に不意に、混沌を呼び込んでは居る。
「神は何を考えているのか?」
それは、不意にある、神様の疑問、だろうか。
それとも、何かの。
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