あげちうのブロマガ

自称する王の言葉とそんな波

或いはそれは、「創価学会が」という事ではない、かもしれない。

ただ、統一教会の様に、昭和の頃から昭和天皇とカルト、それには軋轢がある。

ちょっと最近、微妙な話があって。

あまりプライバシーを書くのは趣旨にも反するのだが、それが良い影響か悪い影響か?も、良く解らない状況。一応、ちょっとぼやかしては書く。

一つの製品があり、その売り上げは年々減少する事が予想された。このままではそれを創る組合の維持費が持たない、という事からやむを得ず値上げ、という話になっていて。関わる理事の人々に、その許諾をという話になっていた…のだが。

その資料には少し不透明があった、販売数が下がっても、「原材料費」それはそのまま計算されていたのだ。

今では1000個販売、一個100円、なら100,000円。これが900個になると90,000円。しかし原価は、一個50円かかるのだ。50,000円はどうしても発生する、1万円は売り上げが下がる事に。

このまま続けたら数年後には破綻します、その前に。

しかし実際には?一個原価50円ならその時、経費は45,000円になり、5千円の利益の下落でしかない。

…5,000円程度なら、企業努力でどうにかならないのか?

だがこの最後の台詞?を、例えばゲーム会社の企画室で社長が言ったらどうなるか?では、ある。「上の人は現場の事を解ってない!」そんな反発は必定、という所だろうか。ゲームの場合、主に開発コスト、”原価”は変わらないのだ。それで売り上げが下がる、というのは問題で、問うべきは別の方向だが…この上の「声」は、それを無視した上位から、奇妙な威圧を現場に与えてしまうのでは。

やなかんじ。

不満偏向砲、具体例では「ストライキ」それでも、「言葉」というのは大事な偏向要素では、ある。また、ある程度の立場、そういう状況では”先生”扱いの結果、逆に言葉は放っておいても勝手に足場にされる事は多い、訳だ。状況的には、自分が”そういう扱い”をされている訳ではない、が。「王の権威として隔離されている」のなら、それはそれとして同じ懸念がある訳だ。色々な視点はある、ともかくこの時、結果的には「値段はまだ、据え置きで」という事に決まった。微妙な空気はまあ、残った。


懸念は、要するに「昭和天皇は日常的にその一挙手一投足、言葉の呟きさえ全て記録?され、それを利用されていた」可能性があって、”それ”を利用していたのが創価学会だ?と。そこに少し意識が向いた訳だが。こういう話を書こうというのは果たして、ではある。最近不意に思う、「誰がやってるんだ?」元凶が見えない”それ”の不明瞭さも、相手が他者の言葉をそのまま利用してるだけ、というそれなら、道理だ。中央に居る誰かは、発言のその一切に責任は持たず、他人の言葉のみを利用し、自身の保身の為に、それを偏向させている。

という時の、自分が”その”ネタ元に成ってしまった?可能性を少し、恐れた訳だが。

昭和の頃も、今の上皇后様にしろ、失語症になった事がある。「何故?」という時、”この”事態があったら、それは成って当然ではある、言葉だけなら収音マイクを向けていれば部屋の外だろうが取得できる訳だし。自分の公式な発言ならまだしも、それがプライベートのそれだったりした時、それは正しいのか?そこは不意に問いたい事には。「マスコミ」に巣くっているのは、”そういう感覚”である時、その中心は、果たして?

こうして、その事態を公示していく事は、その打開に意味があるのか、ともかくその中枢もやはり、何かの喪失の末に歪んだ、そんな奈落なのかもしれない訳で。

創価学会とは、果たして。

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