まず大前提で、植物を育てる為にはまず水と肥料は不可欠ではある。
もちろん?ガソリンとか”他のモノ”は、その時あまり意味が無いと言うか、毒でさえある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
それは邪悪に支配された世界を開放せんとした、戦士達の生きざまである
「つまり、王の権威にしか、売れるネタは創れないという事だ」
なんでそうなる(/・ω・)/。
コミケも近づいてきて、何かの危機感は膨らんでいる、感じはある。既に執筆が終わっているのに、「それもう売れないよ?」的な、そんな声がまあ、ここで急速に膨らんでいる、という事だろうか。期待と言うか依存と言うか、それまでの先人らも…既に青色吐息である。表現だろうか?「自由な表現市場の中から次のフラグシップは産まれる」と言うそれは、単純に言えば失敗してしまった、という…そんな絵かもしれない。
その市場は何によって始まったか?というのが深刻ではある、「王の権威」昭和の創作業界を実は支配していた存在、”それ”に立ち向かった人々、その領土?みたいな物だった、という事だろうか。想定は、「支配された世界の開放」だったかもしれない。昭和天皇はまだ、世界支配を諦めていない。彼にはその力が実はある、それを打開しなければ、この世界は真なる自由それを手に入れる事は出来ない!
実際には昭和天皇は何もしてない、むしろ擁護しようとさえしていたかもしれないが、それは逆効果にはなった。
どうも「これは信じがたいが事実である」的な言い方で語ってしまうが、あくまでも今も推測では、ある。ともかく創作者は、自分の作品が市場に否定されると”客”を疑う様に成ってしまい、そのまま陰謀論的な思索に支配される事が多々、有る。原理は単純に「私は悪くない」そこかも知れないが、それに対して否定する材料を持てない、のもこの領域、だろうか。領域を創る権力を持っていた人は、”そこ”に市場に捨てられた人々の居場所を創った。そしてもちろん餌も撒いた。彼らはそこでしかし、もちろんか教え的に「王の権威」否定、それはディフォルトではある。それは膨らんでいった、彼らは一般市場ではゴミ扱いだが”そこ”なら「売れた」餌を得る事は出来たからだ。売れない人々は”そこ”に夢を見て集まっていったが、もちろん?多くは売れない、売れるのは、市場を創った思想、それに同調する作者くらい、だ。”そこ”でも捨てられた人々は、結局は領域に切り捨てられた。
この時点で?同人という市場は既に、大きな矛盾を孕んでしまう訳だが。
色々あって膨らんだ同人市場はしかし、その創始者か、それに近い人の喪失により、今は行く先が見えない。市場に「お客」を撒いてくれる人も、特定の人々を可愛がってくれる王も、今はもう居ないのかもしれない。彼らが目指していたそれは、最終的には源泉を持てなかった。その先でしかし、或いはレジスタンスかの様に利益を出していた?人々は、その中でも今も、何とか自力で客の来訪を招き、待っている。
「売れる物」を創れば、客は来るのだ。
ただその結果、この市場の理念はどんどん否定されていく事にはなった訳だが。結論で言えば一般市場と大差ない。「問題ないオーダー」を得て、”それ”を問題なく、要するにオーダーを満たす様に創る。一般市場のそれを受けるのは大変だが、ともかく今は、隣のチームと「オーダー」を創って交換し合う、等という形でも問題ないオーダー、というのは発生する状況ではある。「ストリード」と言うそれは、単なる妄言に近いモノでも何とか、その中身を問題ない物にはしてくれる。”それ”を上手く具現化し得る時、内容の俗は問題に成らない。A5の牛肉も焼き方次第、ジャンクフードも時と場合ではある。
ただまあ、理念的にはこの光景、その世界でゴブリン的な異質が膨らんでいく光景かもしれない、が。
この先に有るのが昭和天皇の悪夢、ではある。そして?”ここ”はその後継者、という事には成る訳だ。血族的なそれではなく、アインシュタインから原爆投下を理由に譲り受けた「王の権威」と言う立場は何故か、その没後、”ここ”に引き渡されていて。ただ、昭和天皇の影響が消えた途端に、同人は領域を支配してしまって、王の権威支持そう言うのは急速に薄れて、しかし。彼らは結論で言えば結果を出せないまま、ただ、王の権威”それ”を封印する、事に腐心する様に成っていった、そう言う感じだろうか?
結局は、物理で踏み潰していく感じには成る。その際の断末魔が聞くに堪えないモノである、のも現実で。
コミケに客は来るだろう、”そこ”でしか手に入らないモノは多いしかし。そこは本当にコミケか?は、少し疑問に成っていったかもしれない。
単に、今までは植物にガソリンを撒いていたが、水と肥料を撒くようになった、だけなのだが。