PS5、突然かの5500円、値上げ。
本体価格が6万円を超えた時、それはちょっと、壁は発生する。
何故ここで?は、少し思う。最近ある、「一身上の都合」それによる退任、”それ”にもかかわる流れの一つ、だろうか。売り切れ続出、テンバイヤーが横行、市場でほとんど見かけない、という話題沸騰の”それ”が値上げ、というのは今までの「普通」からするとちょっと違和感だ。ただ、もちろん”この”性能が、5万円台だった?というその方が、実際には問題視しなければならない違和感だったろうか。
また主観でも、不意に、「アルカディア用の拡張ROMによって、使えるメモリの増大とさらに音楽が流せるように!」という話というか意欲?も、なんか立ち消え感にはある。”主観”では「そこまでは必要ない」状況になった、雰囲気で…妙な執着?感覚、脅威の喪失、そういう感じもある。「パワー、或いは物量で圧倒する!」という流れに対して、”それ”が後退、或いは撤退した?そんな雰囲気もしない事もない。
立場、そういうのはどっちなのだろう?苦境に陥っているのは、果たしてどっちか。
少し想像する流れでは、「PS5は当然か原価割れしてた」という話。それを、しかし、事ここに至るまで補正できてない、その結果。補正する為には?購入者が相応のソフトを購入せねばならない、が。その売り上げが、実際には思った以上にか芳しくない、費用対効果が、悪い。それは実感もある、特に遊びたい様なソフトがない。ダウンロード&導入に3時間、クリアまで100時強、複雑な操作系、続くムービー的なイメージ。ゲーム内容は多くTPSかFPS、飽きるほどに見飽きた美麗画面は、萌えキャラのように違いが判らなくなりつつはある。悪い面を言い出せばキリがないが、問題は”それ”を補う?或いは必要とする内容が、今まではちょっと顔をしかめる様な物しかなかった事、だ。
結局、「パワーや特権で非力を圧倒する!」それを正義にせざるを得ない時、そこにあるのは何らかの虚無ではある。どれだけ軍事力を持っても経済は失速し続ける時、必要な事は何だろう?侵略する場所も既に、自国と似たような状況では旨味もない。「敵がいない」時、その軍事力は重い足かせでしかない。
利益性は何処に?その時、「アルカディアでの利益性」それはちょっと、意味の大きい話だったろうか。
リアルであれば、なかなかにドラマティックな絵、ではあるのだが。40年前に、アルカディアが発売されてからの話、その「IF」だ。4か月後にはファミコンの発売が控えている、或いは発売されてしまい窮地、”そこ”からの対抗。アルカディアでの利益性を模索し続ける中で、何だか向上していく性能、市場の雰囲気が変わっていく、「ゲーム」それを求める客が増える。その時、任天堂にとってファミコンの挑戦的な低価格、”それ”は悪夢に変わっていく、売れば売るほど赤字が膨らみ、そしてそれをソフトでは、ハードパワー!では回収できない。やがて。
「ファミコンの値段を24800円にします」とか発表され、アルカディアは、何かの脅威から解放される事に?
もちろんここで、「鉄血のオルフェンズ」ラスト付近、不自然に撤退していくギャラルホルン、も少し想像する訳だが、この状況で、「ダインスレイブ」それに相当する物は有ったろうか・・・ちょっと解らない。
「アルカディアでグラディウスが動く?」という、イミフな可能性を考えてしまう状況、また「アルカディアでゲームデザインできない人はディレクターには成れない」という不意の正論?ちょっと発生してるそれ以外の枷も含めて、「ファミコンの猛攻を押し返した」という、絵に見たいそれは、希望的観測だろうか。
これをリアルと言うべきか否か、まあちょっと悩む部分もある。
ファミコンがこういう方向で撤退?してしまえば、拡張ROMの話もちょっと意味薄になるのは間違いない。今まで500円で売っていたソフトが2000円になる、それはまあ、内容に比するとしても、その時はちょっと悪夢なのかも。この先は自分自身で、今までの経緯を否定する事にもなる、むしろ逆効果か。
妄想の中で遊んでる、ともいえる。事態の打開は果たしてどこへ。