リアリティの問題とは言える。
ともかく「創作で経済は活性化する!」と言われても、詐欺だと疑う前に笑う感じはある。創作者にしたら?それは大義名分として大きい、しかし。平成の間、というべきだろうか、徹底的に「これ必要?」そんな創作ばかり量産してしまった、そう言う経緯もある。
その、最たるものが「機動戦士ガンダムSEED」だった、ろうか。
今でもこれは、何かの重い過失を背負う…否定的異質として残っては居る。因縁か、その脚本家は病死しており、監督も、今は話題にする事さえ憚られる様な…そんな雰囲気だ。「ガンダム」という特異さは、特にMSに関して「存在しない」という理解を否定する。それが象徴する物は自分の生活圏である産業かもしれないのだ、その否定は自身の生活の否定でさえ有り、故に。「ガンプラは売れた」という結果は、残ってしまっていて。
全否定だがガンプラは持っている、そんな奇異をそこに残し、結果で怨念さえ、そこには漂っている。
何かのオリジナルだったら、「いらない」で終わる話だ。「ガンダム」と言う、或いは理想的社会を目指した何かの指針は逆に、そこに有る問題の様なモノも、同時に抱えてしまったと言うべきだろうか。
ストーリーなど、作品としては極めて酷い物、ではある。
しかし、”これ”が「売れた」という結果は、ここが”そう言う場所”だ、そう言う意味にも成ってしまった、という部分はあるのだろうか。
情報の問題もある。多分、とか、だろう、とか、不確定なそれしか言えない部分は重い。何でこんな作品が創られたのか?は、今もどうも、明確に答えが出ない感じはある。「監督が犯罪的にヘタすぎる」、きっと何らかのコネ採用だろう、”それ”は言って良い話か否か?だ。その辺の情報は、微妙に出てこない。業界全体を覆う、何かのパワー、それは今はどうなった?
「ウィザード」その影響だったろうか、そして、それはどうなった。
飯塚幸三氏は、その周囲は、何かウィザードらしい事をしていたか。
主観として、”これ”が「売れた」事に成っている限り、経済的な回復は何かの脅威に晒されている、気もする。ゼビウスも、大ヒットした事には成っているのだ、それと似た話だとしたら、それは当時の”それ”に近いモノが動いた、そう言う事だ。「その結果出来たのがこの作品です」という事は、”ゼビウスもこんなもの”な訳だが。
とは言え今も、「うま娘」それも、また「仮想通貨」も、適当な利益をPRはし続けているのだ。
「それは虚栄を続けている」という、それは単なる主観だ。
その「正義が見えなくなる場所」で、歪んだ視線それは今も、何かの、しかし。
それでも、その前の前に居るのは、相変わらず金を求める、そんな汚物かもしれない。
それが、自分が創ってきた物として。
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