それは、コンセプトの問題、だろうか。
ともかくオリンピックとは、「戦争以外での示威行為」ではあって。その成績如何で、国同士のパワーバランス、立場的な重要性が決定?する、訳だ。「戦争をするよりは良いだろう?」その理念は、理性的にはもちろん同意する、のだが。出た結果に対してはその限りでは無い、のが感情論と言うモノではある。
この結果、何が起きるか?だ。
「我々の方が発言力は上だ」をこの先で示す方法それは、戦争の選択しか、無い。
燻る何かは、唐突にか、世間へそんな機運を高めている部分は、ある。
システムというか、その問題か、それとももっと別の要因か?は疑問もある。ともかくオリンピックの隆盛それは、そのまま何故か、「戦争の機運」そこに繋がってしまう現実?は或いは今、ある。”それ”は個人的な感覚だ、長野冬季五輪の頃にしろ、「意味は?」「お祭り」その程度でしか無かった、何処か、盛り上がりの中に冷めた部分は有って。
…逆説的にはだから、それは戦争へは、繋がっていかなかったのだ。
”今回”は、紆余曲折もあり、状況の変化もあり、「意味」それを自分も提案してる現実はある。だからか、”それ”がそのまま意味に通じるのなら、この後にスポーツの隆盛等々、レガシーの価値やら産業の発展やらは、期待して良い部分は出てくる訳だが。ただ「意味」を感じる時、その先には同時に不服も否定も、ある。
…突然か、河村市長が、”選手の”メダルを噛んで、問題になった。
以前に話題に出た、「ウィザード」その介入を疑心する程度に、かなり致命的で異常を疑う犯罪行為?だった。
それまでにも、バッハ会長が日本を中国と言い間違え?たり、今となっては定番のそれだ、「些細だが致命的な過失」、それは幾つかあって、これもまた、その一つの様な何か、ではあり。河村市長的にはこの事例は、政治生命としては”かなり”致命的だろう、それでも。特攻隊、それは過去の、追い詰められた日本軍で実際に行われた作戦行動ではあって。
「農協を潰して食おう」的な、それは結構、根深く有った話、なのだろうか。
その為に平成を通して続いた腐食行為と言うか、その結果として、しかし残る影響、それとして?
潜んだ”何か”は、どれだけいるモノか。
そしてそれは、今回の結果に対して非常に重く否定感を持つ訳だ、特攻をもさせる位に?
以前にも、「一人のユーザー」の些細な仕様変更で、インターネットの基幹の一部がダウンした、という事例があって。こういう部分をあえて残し、”そこに居座る”のが「ウィザード」だった訳だが、それは今もまだ、もちろんか、何かの介入を可能にはしている訳だ、しかし。
集中するのは「無能」その、否定の帰結ではある。
理解としては「不可能を要求された結果」として、その場に発生する魔物な訳だが。
「なら何故、直ぐに”本来の後継者”に渡さなかった」
それは、理由に成るだろうか。
彼らには野心があり、その時、その機会があり。
そしてそれは歪んで今、世界をも腐食していた。
最後の”そこ”へ向かって。
「役立たずのゴミはどうしようもねぇな」或いは、”飯塚幸三氏へ”そう罵倒する、その是非ではある。
「ユダヤ教の王」も、結論ではその中に有った、要求される能力を持てない、状況は悪化していきその責任だけが集中し、憤りは、何かを歪ませていった。とは言え、それは最終的には”人間には不可能な要求”ではあり、それを求められた結果でもあり。
それでも、失態を犯し汚辱に塗れても、或いは歪まなかった人も、居る。
彼は何故、その時、歪んでいったのか。
それは、誰の責任か。
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