あえて書くべきか?と言うのも謎だが。
オリンピックそれは、やっぱり、「平和的に各国の序列を形成し得る機会」と言う、その意味の方が強い、気はする。今回は特に、そのニュアンスが非常に強い感じ?で、ともかく「戦争はしない」その上で、問題を解決する、という視点で、そこに参加した事にこそ意味が、意義がある、それは非常に強く感じる状況ではある、のだけど。
それだけに、その現れた結果に対してストレス、それは結構、無視出来ない事、かもしれない。
オリンピックが意味を持つそれは、「戦争は良くない」するべきでは無い、その、各国の同意、大前提あっての話、ではある。しかし、つまり現れた結果には逆らうべきでは無い、訳だ。「中国の台頭をこれ以上許す訳には行かない!」とかだと、今の結果はちょっと、無視出来ないストレスを形成する、かもしれない。
これを超える方法として、結局は「戦争」物理的な、それは選択肢に成る。実際にやってみなければわからない、そこは最後の問題としては有る訳だが。
…果たして、「紛争解決機構」それは、その辺も留意があるのだろうか。
情報が正確では無い、感は、最近強く感じる部分ではある。
マスコミが悪いのか、それとも、ではあるが。先日のそれも、「世論」を形成する策略の結果として有り得る話、ではあり。本来は信用すべきでない情報を、どうも信用してしまう事から始まる歪みな訳だがそれは、何処から始まる物、かだ。
ともかく、「何故、正確な情報が必要か?」ではある。
結論で言えば、「じゃないと仲間を護れないから」だ。
もちろん、自分さえも。
この柱は10tの重さに耐えます!というそれが、実際には2t位で歪むような物だったら、それを信用する事は命さえ危険に晒す事には成る、物理的な危険。それを?「そんな事は無い」とか言う相手は信用出来ないし?その疑念に対して剣呑を匂わせる相手は、既に過失を犯した可能性さえ有る…多分過失がある。”それ”は、自身に対して損害を与えようとしている訳だ、偽りの情報を伝えると言う事は。
それは、目的に対して、敵でさえ有る。
「仲間を護る」それは、原理的な最強、そんな”正義”かもしれない。もちろんそれは、「敵」でさえも同じだ、しかし。ここは正義は勝つ、が絵としては出る、過失=失点、ではあり。こちらに過失が無いなら?現場の単純な正義その総量は、そのまま敵を上回る。今の「鬼滅の刃」も、結論では”それ”が世界さえ救う力となっていく、話ではあって。”それ”を考える時、「不正確な情報」それは、忌避される何か、ではある。
”そこ”に信用を置く訳には行かない。
その時、見えてくる景色、それは少し違って、そして逆に、少し明確さも出ては来る。
新型コロナウイルスも、或いは本当に脅威か?だ。その情報ソースは信用に足るのか。何かの剣呑を纏っていないか、偽りの情報を強要しているとしたら、それの信用は仲間を危険に晒す事には成る。
真実は、どこに。
使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10788860
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