何だか、集中していく物はある。
現状とは、「幸せな夫婦を破綻させたい」その意欲に満ちているのだ。
当り前の道理としてそこに有るのは、「自分はその幸せを得られなかったから」結婚生活は地獄その物でした、とかそう言う部分から始まる訳だけども。
新型コロナウイルスも結論では、”それ”への執着に満ちた、そんな厄災ではある。
飯塚幸三氏への疑念が、ちょっと想定でリアリティを持ちつつはあるかもしれない。想定として彼は、社会構造の「要」に爆弾を設置する事で社会その物を恐喝していた「ウィザード」ではある。その可能性が、結構ある。
その時この厄災は、彼の罪状を軽くせんとして始まったのか?という想定だ。
「これは単に風邪だ」データだけ見る限りは風邪でしかない、しかし。
状況として「”上”の存在が人類を滅ぼしかねない邪だと言っている!」から、今の”世界の”対応である。
視点では、交通事故の”それ”であっても、だ。
新型コロナウイルスに「これは、只の風邪では?」と言う否定感を持つ限りは、飯塚幸三氏の過失に対しても、何かの疑念を持つ事には成る訳だ。
という時、それは多分、想定より上手く行かなかった、感はある。オオカミ少年の話かもしれない。自身の罪状が軽く成れば解除し得る筈が、感染は拡大し、世界は馬鹿みたいにこれを問題視し、飯塚氏の罪状には「全く」無関係に、大問題だ、それを維持し続けている。世間がこの対応を続ける限り、飯塚氏の罪状も軽くは成らない?結果で、飯塚幸三氏は禁錮刑7年を求刑されていて。流れでは、実刑の確定はほぼ確実だろう。
とは言え、彼らが持つ「爆弾」はまだ、幾つか残っている、訳だ。少なくとも河村市長を特攻させる事位は出来る、というべきか。
今のこの思索も、新型コロナウイルスの”妙な流行”も、何かの指向性を持っている?感じはある。一応、切り離しはされている、飯塚幸三氏がした事は、「幸せな夫婦を破壊した」”それ”に他ならない。それと風邪を同一視するのは、現状は無理だ、そして。
例えば、Youtubeなどのネット動画が流行る時、街のレンタルビデオ屋は衰退していく。場合によっては職を失い生活難から身売り、という流れは当然ある、だろう。平成を通して続いた事、それはどういう事か?だ。結局、車を運転する様に権力が、そこに居る人々を轢き殺したに過ぎないのでは。そしてそれは主に、幸せな夫婦に集中していた?
飯塚幸三氏が轢き殺した二人の様に、だ。
この辺、彼が権力を運用する上でのそう言う問題を「風邪だ」と認識していたかもしれない事と、新型コロナウイルスへの問題視と、少し通じる所はある。「風邪程度で止めていたら何も進まない!」と言う、その主張の結果は、問題ない夫婦の破壊へと繋がっていく、訳だ。
良くも悪くも何かの明確さはある、データ的には新型コロナウイルスは、侵略の肯定によって、”侵略側に”こそ発生する。オリンピックの隆盛により、イベントなどの開催へ意欲、という風潮は盛り上がっている、結果、パワーを持つ人々が夜の歓楽街でその意識を拡散する結果、それは爆発的な感染の増大を招いた、それは理由には出来るが。
始まりは、飯塚幸三氏の保身から、であって?
全ての責任は、彼に有るのではあるまいか。
集中している物はある、ならつまり彼は、世の「幸せな夫婦」に対して重篤な殺意を持っている、訳だ。それは何から、何処から始まったか、その辺はまだ少し不透明だ。
何故、”そこ”に集中してしまったのか。
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