不意に、「アメリカに勝つ為には!」そんな執着の存在を感じた、気もする。
原爆の使用は是か非か、ではある。そして倫理的にはそれで、アメリカは負けたと言えない事も無い。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「ですからね、それは解釈が異なっていて・・・」とか割と滑稽な様かもしれない自嘲。
是非を考える中で、どうしてもガンダムSEEDフリーダムの成功その是非、みたいな話にも成る。そして、それよりはゴジラー1.0の評価、その方が上だ?という世界の反応の是非みたいな事にも、なる。その先に有るのが、アメリカは「神」現人神、それをかかげないと維持できない面がある、そう言う話ではあり。
その時そこに、「アメリカに勝つ」或いは支配する、そう言う椅子が残ってる、可能性。
侵略を悪だ、とすると、アメリカの白人と言う層は国を出ていく必要はある、アメリカ大陸それは元々、インディアンの土地ではあって。それを結論では武力制圧して乗っ取ったのが今のアメリカではあり、その後の発展にも、何かの影響それは強く見せてくる。結論で最後に「勝てば官軍」それで押し通す事に成る訳だがしかし、ある意味で立ち塞がるのが「正義は勝つ」その、正論?ではある。侵略は悪だ、悪に屈しては成らない!
戦後の日本にも、”それ”は色濃く残って居た、という面は或いは。
要するに、”そう言うの”がゴジラに成った訳で?そして”それ”が消えていく、のが土台のゴジラプロット、ではある。物語の「意味」みたいなのを考えると、台風の襲来でしかない話が何故?ではある訳だが、故にかそこには混沌が残ってる、何が良い話なんです?ともかく”そこ”を押し込むモノとして、昭和天皇の存在それは多分、大きかった。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、アメリカの勝利を受け入れねば成らない、だ。
或いはそんな彼を失ったからこそ、アメリカは?DOS/Vは、日本市場を侵略したのかもしれない訳だが。
結局?以前の様に”それ”を肯定する存在が居ないと、過去の過失でアメリカも足場が揺らいでしまう事になる。それを避ける上で「次の神」それが求められる先で、古い創作者の中に衝動が発生した、それは或いは。
私が次の神に成る。そうすれば日本にとって”全て”が良くなる。
しかし、”それ”は技術の問題じゃなかった、というのがまあ、失念の一つ、だろうか。私こそが”神”に相応しいのだ、なのに。何が問題だ?”それ”は次第に「私が後任だ」と言う断言で昭和天皇の遺構を邪に操り始め、世界に混乱を招いていた…そう言う面も実は、出てきそう。
ともかく”その”不満だ。「私の何がダメなんだ」その上で、その条件の一つに「核弾頭の使用を肯定的に理解している」あれはしょうがなかった、という”それ”が必要になる、訳だがしかし、まあ普通に考えてそれを作品で展開するのは難しい、面はある、うっかり使えば単なる暴君のそれでしかない。そう言う作品は書けなかった、というのが…問題になった存在の、何かの欠損だろうか。
同じ場所に、別のベクトルを向いている意識がある、そんな話の先の問題。
この時「どっち?」は、技術という視点では判断できない、もちろん知識であっても、だ。残って居た混沌の中で、「表側」はその”日本に近い”方を優先していた、結果の平成だった、そういう言い方もまあ、出来る。
利益には、もちろん成らなかったのだが。
「利益にさえなれば良いのか?」その時、人の不幸な人生と言うのも、意外と金になるのだ。
道理が歪んでいる領域が有って、そこで歪んでいった「正義」が或いは、今もあって。
この理解はその時その領域で、”それ”を消せるだろうか。
些細な話、ではある。